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法話談 (其一): 身代わり地蔵と仏様の大慈悲

皆様は身代わり地蔵のお話を聞いたことございますでしょうか?日本の口承伝承には人間の身代わりになる仏像が登場する民話が数多く存在しますが成り行きはほとんど一緒で「仏像が人の身代わりになり、災難を肩代わりする」お話です。例えば、長野県上田市にはこんな話があります:

「昔,女中や下男を沢山使っている長者がおり,昼食を田に運ぶ仕事を女中にさせていた。その中に信心深い娘がいて,村の地蔵の傍を通る時には一椀に飯を持って通っていたが,『娘が男の所に飯を運んでいるのではないか』と噂するものが出た。そこで長者は娘を問いただしたが,地蔵にあげているという娘の言葉を信じず,焼け火箸で顔を焼いて白状させようとした。ところが不思議なことに娘は火傷せず,地蔵様の額に火箸のかたがついた。その後,長者は貧乏になり,娘は無事に暮らしたという。」
【出典: 長野県史 民俗編 東信地方 ことばと伝承、第12編 口頭伝承 第2章伝説: 10、地蔵や薬師や観音の伝説 (1987年) より】

この民話の秘めされたを簡単に説明してしまえば「諸仏(以上の場合は地蔵菩薩)は信心深い者を難から救い出す」と解釈できますが果たして、その根拠は一体どこから来ているのでしょうか?それは仏様が偉大な慈悲心をお持ちなっていらっしゃるからです。慈悲(じひ)とはサンスクリット語の二つの単語から由来し、「慈」は友情 (梵:マイトリー/maitrī) で深い慈しみの心をさし、「悲」は同情 (カルナー/karunā) で深い憐みの心をさします。よって、両方合わせ「慈悲」と言う言葉が成立します。一方でもう一文字加えた「大慈悲」と言う言葉は「仏の広大無辺な慈悲」になり、少しニュアンスが違ってきます。では、なぜ「広大無辺」なのでしょう?

「法華経 第五章 薬草喩品 三草二木」を読んでみますと釈尊は迦葉(かしょう)にこう、おしゃいました:

「迦葉。譬 如三千大千世界。山川谿谷土地。所生卉木 叢林。及諸薬草。種類若干。名色各異。密雲弥 布。遍覆三千大千世界。一時等注。其澤普洽。 卉木叢林。及諸薬草。小根小莖。小枝小葉。中 根中莖。中枝中葉。大根大莖。大枝大葉。諸樹 大小。随上中下。各有所受。一雲所雨。稱 其種性。而得生長。華菓敷實。雖一地所生。 一雨所潤。而諸草木。各有差別。」
【現代語版】

そう、仏様の大慈悲とは宇宙全体を大空に広がる雨雲みたいに覆い、その下に居ます種々の草木である我々、衆生に対して平等に雨が草木を潤す様に一切を仏となす一乗の教えをそそがれていらっしゃるのです。この慈悲の御心を真摯に受け止めることで地蔵様が信心深い娘を救った様に私達も救われ、悉当成仏(しっとうじょうぶつ)の一貫として成仏が叶うのです。

身代わり地蔵のお話もまた、仏様が視点や表現を変えながら繰り返し説かれた教えの一つなのであります。

南無妙法蓮華経
南無日蓮大聖人

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