笑顔と花の種

 2021年、年忘れ沖縄料理の会、去年(既に一昨年)は我が家でやりました。今年はコロナ明けの兆しも見えてきたところで、アマガミスタジオを借りての開催でした。

 そもそも、なんでこんなことをやっているのか?ってところですけれども、三線の面白さって、教室で工工四と睨めっこしてるだけじゃ全然足りない。もっと面白いことがあるんだよって紹介したくて、その一環としての企画なわけです。

 泡盛飲みながら、ソーキそば食べながら、オキナワンブルーの海空を想像しながら、気分に浸って弾いてみるってのが入り口だとしたら、そっから、唄遊び(うたあしび)、毛遊び(もうあしび)から、たっくさん遊びがある。元々、沖縄の歌って見せるもん、聞かせるもんじゃなくて、みんなで楽しむものだった。その証拠にプロの民謡歌手っていなかったのです。村で上手な人がみんなが集まる時に頼まれて弾いてあげた。そこには周りで一緒に手拍子で歌う人もいれば、踊る人もいた。昔の登川流には三線が弾けない人も在籍していました。なぜなら、その人たちといると楽しかったからです。

 いつしか、プロの民謡歌手が出現してきてから様相が変わってきた。元々、昼間の仕事を終えて、夜晩酌しながらつま弾いて楽しむ三線でしたが、プレイヤーは上手になるためにそれだけを練習し始めた。プロ(専業)の出現で技術は格段に上がりました。その余波が今の三線教室をつまらないものにしていると思うのです。三線において技術は二の次。大事なのは気持ちであり、心。

 僕が昔、離島の民宿かなんかに泊まって、他に宿泊客がいなくて、宿の主人のスペシャルサービスコンサートが始まって・・・それはそれでめちゃめちゃ楽しかったんだけど、唐船どーいとか、もう早くて何やってるかわからないから”それゆっくりやってほしいです!!”ってリクエストするわけ。そうすると、主人は手元をしばらく眺めて、開口いちばん”わかんね!!”とか言うんです。そりゃもーおかしかった。あー、この人たちは理屈じゃないんだなと。

 三線の楽しさを伝えることにおいては歌うのみならず、弾き方を教えることだってできる。先生業と堅苦しく考えることなかれ、資格があるとかないとか関係ないです。3年やったら、全くやったことのない人より3年アドバンテージがあります。

 今回の沖縄料理の会は初めて出会う人が多かった。その人たちと一緒の場所にいるのは三線があったおかげです。三線を使って自己紹介しようよ。もちろん、踊り、歌、大歓迎です。

 去年の開催時は沖縄料理教室の要素もあったんだけど、今回は、まさこ料理長の独壇場になっちゃって、それでとっても美味しい料理ばかりが食べられたんだけど、そこの技術はどんどんシェアしちゃっていいもんなんだと思う。正解を食べたいなら、沖縄料理の店に行けばいい。

 今までは沖縄で合宿とかやれたから、そこでいろんなことを経験できたんだけど、今は教室が広がりすぎちゃって難しい。三線の楽しさを伝えられる先輩方に三線メッセージのバトンは回ってるにも限らず、そのバトンは回らない。回せない。

 1人じゃできないのよ。これはコミュニケーションであって、2人から始まる面白さなんだ。やっかいだから楽しみも倍増してるし。別に盛り上げろって言ってるわけじゃないんです。このひとといると楽しいって、わかるでしょ?

 今年の夏、崎山に行ってきました。西表島にかつてあった、今は廃村になってるところね。崎山ゆんたっていう曲があるんだけど、これは、強制移住させられた女性が、その悲しみを歌ったものらしいんだけど、もう村がないのに歌だけ残ってる。ジャングルを超えないと行けないところにあるので、今、陸路で行くのはめちゃめちゃ困難です。そんな過去の生活の歌だけが残っている。

 きっと、いい歌だなって、みんなが思って、覚えたんだろうね。強制移住させられた、みんなの気持ちを代表していたのかもしれない。歌い継ぎは、その女性から始まって、村も人もいなくなったのに歌だけが残ってる。歌が作り手から出発する時、その歌い回しは違う!!とか、歌詞が間違ってる!!とか、そんなことにめくじら立てたかな?

 他の教室がどうあれいいのです。

 沖縄の言葉がわからなければ、作り変えてもいいし(公に出すなら配慮した方がいい場合もあるかもだけど・・)そもそも自分の歌を作ってもいい。やってみると難しいですよ。自分達がいかにコードに支配されていて歌メロを意識していないかモロにわかります。

  今回の感想として、三線遊びを見せられる先輩たちの不在。初めて会う人も含めて、時間を共有する楽しさを創り出す共通の意識を持つこと。このあたりに課題を感じました。そして自分がやるべきことの未来を見ています。

 おいらは、まだまだ三線めちゃめちゃ弾ける。太鼓も叩ける。でも、その技を表現できるところはない。それを聴いてもらうための労力を割いてないこともあります。それに音楽は沖縄民謡だけじゃないってこともあります。(沖縄音楽のエッセンスは多分に活用してますけど。)

 音楽は聴く聴かすの直線コミュニケーションじゃない。音が響けば、その空間は溶けあって響きが重なり始めます。空間自体が唄や音楽になっていく。そのヒントをくれたのは沖縄の三線唄遊びです。

 僕の現況ですが、コロナで始まった野外活動や、僕の妹(矢島祥子)にまつわる大阪の事件の活動拡大。今年は、作詞家、もず唱平先生のところの演歌歌手を1人任されるかもしれません。娘も学校を卒業し、ステージに上がり始めました。僕ができることは助太刀したいと思っています。
 そういった時間の中にある三線稽古です。コロナのおかげで僕は三線稽古を専業としなくてもなんとかなりそうな気配が出てきてます。よって今まで以上に、稽古にはこだわりを持ちたいと思っています。具体的なレッスン内容はさておき、求めるのは。演奏を通じての送り手、受け手の笑顔。そして三線の種を蒔き、花を咲かせる自らの場所を作ること。身の回りに三線を弾きたいという人がいたらぜひ教えてあげてください。手に負えなければ、その時は僕がいます。

 とまあ、こんな感じで年末に、やじま三線教室の課題を感じたので、新年明けてしまいましたが、ここにお送りします。

唄わぬ人生より、唄う人生の方が面白いのだ。

今日1日のありがたさよ、素晴らしき日々を、一度きりの人生を!!ぜひ^_^

 

 



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