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孤独死と仏教
こんばんは。
馬場ヤイリです。
本日は、即身仏(そくしんぶつ)の話を引用して、現代の孤独死を考えてみようと思います。
即身仏とは、仏教の僧侶が飲まず食わずで瞑想をし、そのままミイラになった仏様のことです。
僕もそんなに詳しくないのですが、仏教における修行とは、すべての欲を我慢することです。
食欲や睡眠欲、性欲をすべて御し、瞑想し続けたその結果、ミイラになる。
で、その厳しい修行をやり抜いた即身仏は、仏教的にはすごーく尊い存在なわけですね。
でね、ここからが面白い話。
そもそも、水分たっぷりの人間の体が干からびてミイラになるのって、様々な条件が整ってないとできないんですって。
乾燥したエジプトの砂漠ならまだしも、温暖で湿気も高い日本では、死体が綺麗に干からびることはまずない。
むしろ、腐る。
腐ってどろどろになる。
だから、即身仏を目指した修行僧は洞窟の中など湿度の安定した場所で瞑想にふけったのです。
ここで注目すべきは、人がミイラ化するまでにかかる時間。
最短でも数か月、もしくは数年単位で、息絶えた修行僧は洞窟の中で保管されていたはずです。
なので、即身仏を目指した修行僧は弟子にこう伝えました。
「自分が死んだあと、5年経ったらちゃんとミイラ化した自分を回収してくれよ!」
…さて、5年後。
弟子はその伝言をちゃんと実行できたのでしょうか。
どうやら、様々な理由でその約束が果たされず、今もなお洞窟の中で座禅を組み続けている修行僧がいるらしいですよ。
昔より寿命が延びた現代人にとっても、5年って長いですよね。
5年前の約束、みなさん覚えてます?
もし覚えていたとしても、弟子が病気や事故で亡くなってしまったら、即身仏さんを洞窟から取り出すことができなくなってしまいますよね。
つまり、ちゃんと後世に自身の存在を言い伝えられるほどに慕われていないと、そもそも即身仏は世に出ないってわけです。
で、話を現代に戻します。
独居老人の孤独死が盛んに騒がれているじゃないですか。
あれも『死体を回収されずに忘れ去られた即身仏』と同じだと思うんですよね。
その人がそこにいたことを、誰も覚えていない。
覚えていたとしても、すでに気に留められていない。
だから、死後数カ月経って、腐敗した状態で見つかってしまう。
見つけられる人と、忘れられた人。
この差は何なんでしょうね。
僕の考えでは、『いかにリアルな人間関係を築けたか』だと思うんですよね。
いやね、僕も独居おじさんなんですわ。
実家が離れたところにあって、周りに親戚もいない。
友達も多い方ではなく、片手で数えられるくらい。
完全に忘れ去られる側ですね!
「別に死んだあとのことなんでどうでもいいよ」と思える人ならいいんじゃないですかね。
ただ、多くの人は死んだあとも周りに迷惑をかけたくないと思うはず。
迷惑をかけたくなければ、今、生きている間にリアルな人間関係をちゃんと構築していきましょう。
僕も、あなたもね。
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