見出し画像

一応、京都人のつぶやき その①

 私は『一応、京都人』である。
 一応、というのは、京都市内生まれではあるが、洛中生まれではないからだ。
 また、母が愛媛出身で、京都人ハーフだから、ということも理由のひとつだ。

 ここで書く内容は、あくまでも私個人の考え、私見である。
 もし、私の書く文章で気分を害された方がいたら、誠に申し訳ございません(棒読み)。

 京都が他県より格上だとも思わないし、先祖代々洛中に住む人達が純粋な京都人だと崇める気もさらさらない。
 私は、京都以外や海外でも数年暮らした経験があり、京都最高とは全く考えておらず、どちらかというと血や権威というものに胡散臭さを感じる人間だ。
 それでも、そんな私ですら、京都に充満する《《見えない圧》》、誇りや独自ルールや歴史など、この土地に刻まれた人々の念とでもいう《《何か》》が存在するのを感じざるを得ない。

 初めてその、京都の圧に気づいたのは高校に入学した時だ。

 私は、洛中へ行くのに峠を越える場所に生まれた。正月には白味噌の雑煮を食べていたとはいえ、京都というもをさほど気にせず生活していたと思う。それが、なぜか地元でなく、御所東にある高校へと区分けされた。
 仕方ないので、峠を越えて自転車で30分かかる高校へ通学した。そこには、京都市内の様々な場所からの生徒が集まっていた。そこで、私ははじめての京都カーストを体験した。

 『ああ、峠越えて京都に通ってきてはるんやね』
 『へえ、えらい遠いとこから来てるんや』

 つまり直訳すると、あんたは洛外の田舎者で、京都人とは言えへんのやし身の程をわきまえや、とまあ、そんな感じだろうか。

 いやいや、それは被害妄想が過ぎる、深読みしすぎだ、そもそも同じ京都市内の住民だろう、と思われるかもしれないが、そうでもない。勿論、人にもよるし、その場やタイミングにもよるが、私のもらった言葉の意味について言えば、あながち間違ってはいないと今でも思う。

 京都には、見えない位が存在している。
 京都のどの場所に住んでいるのか、何代そこに住んでいるのかで、その位を探られる。
 また、京都十代、と言われるように、十代京都に住んでいないと、本当の意味で京都人とは名乗れないらしい。知らんけど。

 そこまででないにせよ、また、洛中でなくとも、こういった言葉を聞く事はちょいちょいあった。

 『〇〇さん、ここらに越して来て50年程やから、まだこの地域の事がようわかってはらへんのや』

 ちなみに、〇〇さんは、区こそ違うが、京都市内の徒歩10分とかからない場所からの移動だった。近所から越して来ても、50年ではまだ新参者扱いされるのだ。おおこわ。

 また、京都人は表裏が激しいとも言われる。
 表では笑顔でやんわり話しながら、裏ではぼろくそに言う事は当たり前。
 むしろ話しながら、相手の言葉の裏を読み取り、表の言葉で返答する必要がある。なかなか、高度な心理戦だ。それが、日常茶飯事となれば、表裏が激しくなるのも道理だろう。

 私がおもしろいなと、思う京都あるあるに「考えときます」がある。
 商談やお願い事で、相手が「考えときます」と答えたら、《《我々京都人》》はまず可能性は低い、断られるなと捉える。しかし、京都ルールを知らない方からすると、検討してもらえるから可能性が高い、と受け取るらしい。

 ああ、我々京都人、等と無意識に考えてしまう位には、自分が京都人だと私も思っているようだ。自分で自分が気持ち悪い。
 けれど、なんやかんや言いながら、そんなややこしい京都が、私は嫌いではないのだろう。

 高慢で、無駄にプライドが高く、本音をみせず、澄ました顔してるそこそこ見目麗しい王子様。もう、面倒くさい、あんな男知らん、と腹を立てながらも目で追ってしまう。あんまり役に立たへんとうんざりしながらも、その様式美にふと心を奪われる。

 一応、京都人の私にとって、『京都やほんまもんの京都人』というのは、そんなイラッとしながも気になる存在のようだ。

 そんな、中途半端な私の京都についての思いや気づきを、たまにつぶやいていこかと思てます。
 どうぞ、よろしゅうお頼申します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?