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ドルリー・レーンという人

エラリー・クイーン悲劇四部作すべて読んだ方対象に書いております。
『Xの悲劇』『Yの悲劇』『Zの悲劇』『レーン最後の事件』の四作でございます。
今回読んだのは角川文庫の訳者が越前敏弥さんのものです。
ネタバレしてますので、未読の方はお戻りくださると幸いです。



エラリー・クイーンの悲劇四部作を一気に読んでみました。
ちゃんと順番通りに読みましたよ。

『Xの悲劇』が初エラリー・クイーンの自分は、まったくエラリー・クイーンに詳しくないし、ミステリ自体にも知識があるわけでもないです。

ミステリ読むときは自分で解くよりも、解決編にどひゃーとなる方が好き。
読み返して「ここの描写が後で効いてくるのね」とニヤニヤしたりする。
そんな、いち読者。


しかし、あまりにもこのドルリー・レーン氏にもやもやする!
もやもやするのです!
それを言語化したくてつらつら書いてみました。



彼について一番思ったことは、

ドルリー・レーンさん、めっちゃサイコパスでは?????

カリスマ性はあれども、ものすごく自己中心的で独善的なお人では?

なんですよね。



もうひとつ勝手に思ってたのは、ペイシェンスがレーンにとってかなり「特別」であったということ。ペイシェンスの手を握ってみたり、頭を撫でてみたりとかね。

『レーン最後の事件』ラストで自決するのは「人を殺してしまったこと」が原因ではありませんよね。
何故なら、すでに『Yの悲劇』で犯人のジャッキーに手を下していると思われるからです。

自決する理由は「ペイシェンスにバレたから」だと私は思ってます。
殺してしまってからペイシェンスが真相に気づくまでの間、レーンはペイシェンスの思考が真実に迫っていないかを確認する素振りが何度かあります。
そして真相に近づくにつれて、レーンの苦悩が深まっているようで。



『Xの悲劇』では、ずっと誰かの筋書きに従って演じてきた役者から、ストーリーを作る側へ転換し、本物の人間のドラマにて人を動かすことができるよう「正義のドルリー・レーン」という役を演出し作り上げた。


『Yの悲劇』では、早くから誰かによる事件の筋書きの存在を予想し事件を追っていたが、まだ知らぬ筋書き通りに推理し動いていた自分に驚愕し、敗北した気持ちにさせられた。
そしてその自らが立てたものではない上、自らが敗北すらした筋書きを、故意に逸脱した犯人が許せずに裁きを下した。


『Zの悲劇』では、ドルリー・レーンの特別となったペイシェンスと出会った。
ペイシェンスの一人称なのは、演出家のドルリー・レーンに対して、読者・聴衆・観客としての存在をペイシェンスに託しているのかなぁ、などと考えつつ。
サムほど愚かで鈍くなく、ブルーノほど本質に鋭くない。
そう、それなら「正義のドルリー・レーン」にとても相応しく。


『レーン最後の事件』では、「正義のドルリー・レーン」は取り返しのつかない破綻を起こした。
観客であるペイシェンスに破綻したことに気づかれてしまった後に、ドルリー・レーンとして顔を合わすことが彼は出来なかった。
しかし、ドルリー・レーンではない自分は、自分ではない。
自らの手でその命に幕を下ろすしかなかった。



そんなふうに妄想してみた次第です。


この四部作を読んだ人はドルリー・レーンをどんな人だと思ったのだろう。
沢山の人に聞いてみたくなりました。



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