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短編小説 『黎明』 #02

運転席に乗り込み、エンジンをかける。車内の無線機で出発を告げた。事務所に待機している田中さんが応答してくれる。

僕の仕事はパンの配送だ。こうして工場で直接商品を積み込み、コンビニに配送する。夜通しで五十店舗のコンビニに納品し、明け方に工場に戻ってくる。

それで仕事が終わるわけではなく、もう一度パンを積み込み、同じルートをもう一周する。すべてが終わると、お昼を回っている。そこから帰宅し、夕方に寝て、また深夜に起きる。毎日がその繰り返しだ。
 
五十店舗を二回転するので、つまり毎日百店舗に配送することになる。件数が多いので、少しでも手間取るとそれが積み重なって、とんでもない遅延になってしまう。

遅延すると店員に文句を言われるだけでなく、自分の上司、それからメーカーの担当に呼び出しを食らう。雨が降ろうが雪が降ろうが、台風が上陸しようが全くおかまいなしだ。大地震がきたらどうなるのかはよくわからないが、よほどの事態でない限り、配送はするのだろう。
 
どんな人間でも、腹が減ったら何かを食べる。たいていの人は、食べ物を買いにコンビニなどに行く。そこで売られている商品は自動的に陳列されるわけではなく、誰かがそこまで運んでくるわけだ。

当たり前すぎるほど当たり前のことだが、それをやる人間が自分になるなんて想像もしていなかった。
 
三十分も遅れてのスタートはそう滅多にはないが、はじめてというわけでもない。パンの製造や仕分けが遅れていれば、出発が遅れることはある。しかし、今日の場合は完全に自分の責任だ。遅れる理由にはならない。
 
トラックの速度はすべてデジタルで管理され、記録されている。法定速度を上回れば警告が鳴り、点数が引かれる。急ブレーキや急発進も同様だ。勤務が終わったあとに、その日の運転の点数がレポートとして出てくる。

その点数はそのままドライバーの査定になる。当然、配送時刻もすべて記録される。規定の時間よりも早かったり遅かったりすると、それも点数に響く。終わりのないゲームをさせられているようなものだ。
 
市街を抜け、川沿いを走る。自分が担当するエリアはもう少し先にある。時計を見ると、いつもならもうとっくに何店舗かの配送が終わっている時間になっていた。
 
最初の店舗についた。運転時間は短縮できないので、作業時間で追いつくしかない。急いでシャッターを持ち上げ、手前の番重を取り出す。店舗は配分伝票で区切られているのですぐにわかる。最初の店舗分を抱え、店の中に入っていく。
 
パンコーナーの前に番重を起き、店員にスキャナーで店着証明をもらっているとき、「あんたさあ」と金髪の店員が声をかけてきた。

「はい?」

「今日、なんでこんなに遅いの? 昨日の人、今日より一時間も早かったんだけど」
 
昨日は休みだった。僕はこのコースのメイン担当だが、当然休みの日は別の人が代わりに走ることになる。昨日の担当は石塚さんという人だ。元自衛隊員で、せっかちなことで知られていた。

一時間も早く納品するのは完全にルール違反で、おそらく先に納品だけすませ、あとで規定の時間になってから店着証明をもらっているのだろう。

「すみません、実は……」
 
工場の製造が遅れて、と言いそうになって、立ち止まった。いや、今日は工場の製造が原因じゃない。寝坊したのだから、完全に自分のせいだ。だが、寝坊したと正直に言うべきなのか。

「工場でトラブルがありまして……」
 
結局、口をついて出たのは嘘の言い訳だった。
 
店員は「本当に?」とでも言いたそうな訝しげな顔をする。僕は目を逸らした。さすがに、工場に問い合わせたりすることまではしないだろう、と踏んだ。

「まあいいや。できたら、もうちょっと早く持ってきてほしいんだよね。こっちも、段取りとかあるんで」
 
すみません、ともう一度頭を下げて謝った。顔を上げると、金髪の店員はもうそこにはいなかった。
 
店舗の外に出て、昨日配送したカラの番重を回収する。それをトラックの荷台に入れながら、これがずっと続くのか、と思った。

どこで時間がいつも通りに戻るのかはわからないが、遅れている以上、配送をするたびに小言を言われ続けるのだろう。十店舗? いや二十店舗?
 
いや、そうじゃない、と僕は思った。今日の配送が終わっても、また明日がある。明日が終われば明後日もある。これがいったいあと何年続くのだろう、と思った。


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