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やっぱり選書がいちばん難しい

読書について考える。読書の何が難しいって、「何を読むのか」を選ぶのが一番難しい、という話になる。選書ほど難しい作業はない。特にいま、僕は特別何かに強い関心がある状態ではなく、わりとフラットな状態なので、特にそう感じる。
 
この世には到底読みきれないほどのたくさんの本があるが、もちろんすべてを読む必要はないし、物理的にも不可能だ。なので、何を読むべきか? ということを真剣に考えるのは時間の浪費ではない、ということがわかってくる。
 
たくさんの本が世の中にあるものの、重複している箇所は多い。特に自己啓発本、ビジネス本の類は、どれを読んでもだいたい似たようなことが書いてある。他にも、たとえば初学者向けの宇宙論の本などを読むと、相対性理論について書かれている部分が冒頭部分に必ずあるので、少なくともその部分は重複している。すでにそれを知っている場合は、読む必要がない。
 
では全く知らない分野の本は、読む必要があるのか。東京には大型書店がいくつもあるのでよく行くのだが、専門書のコーナーに行くと、僕がふだん読んでいるような一般書とは比較にならないような専門書(というか実用書)が並んでいる。それらを読む必要はあるだろうか。まあ、たとえば物理学の専門書なんて、読もうと思ったところで読めるわけがないんだけど。「できるだけ自分が知らないことを知るほうがいいが、これから一生知る必要のない知識にまで触れる必要はない」というのがひとつの解答になる。無駄にややこしいが。


結局のところ、読書というのは「知らないことを知ろうとする」行為なのだから、事前にその対象の知識を自分が求めていたかは知る術がない。だから、「どういう本を読めばいいか?」という問いに対しては、「面白そうだと感じた本を、とりあえず読んでみるしかない」という解答になる。なんだか禅問答みたいな感じ。知らないことを事前に知ることはできないから、とりあえず目についたものから知っていく、みたいな。
 
だから、読書好きな人はますます本を読み、読書しない人はますます読書をしないのかな、とよく思う。「無知の知」という言葉もあるとおり、知れば知るほど、自分が無知であることに気が付いて、読書冊数が増えていく。よく読書の統計なんかで、「月に1冊読むかどうか」みたいな解答をする人がいるけれど、そんな微妙な冊数を読んだりできるものかな、と思う。たぶん、「1冊読むかどうか」という人は、本当はゼロなのだろう。いや、ゼロが悪いとか言うわけではなく、そんな中途半端な冊数がなんだか不自然に思えるというか、そんな微妙な「好奇心」ってありえるのかな、と。


とはいえ、いまの僕は強い興味のある対象がないから、次はどこの分野の本を読もうかな、と考えている。実際は考えていても何も出てこないので、本屋に行って、自分に合うやつを探すしかないんだけど。
 
そう思うと、「読書コンシェルジュ」というか、「本をおすすめしてくれる」存在って、あんがい需要あるかもしれないな。「気が向いたら読んでみて」みたいな感じじゃなくて、もうちょっと強制力のあるやつ。読書って楽しいことばかりではないので、多少は強引にでも「読んでいかない」と、見えてこないものもあるので。
 
最近、これといって運命的な本の出会いをしていないけれど、続けていけばそのうちなんか出会うものなのかな。読書というのは単一の行為なようでいて、何かを探求していく、「道」のようなものなのかもしれない。

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