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短編小説 『黎明』 #03

1話

前話

春からは、まずは配送をやってもらおうと思う。そう告げられたのは、入社まであと少しに迫っていた、去年の二月のことだった。
 
会社の応接室で、中谷という部長と向かい合わせに座っていた。入社前面談があると言われ、特に服装についての指定はなかったので、スーツを着ていった。中谷はワイシャツにネクタイを締めていたものの、あとは作業着という不思議な格好をしていた。
 
免許証、見せてくれる? と言われたので、財布から取り出した。中谷は一瞥し、中型免許だな、とつぶやいた。そのときまで知らなかったのだが、マニュアルで取得した自分の免許は七トンまでのトラックであれば運転できるようだった。
 
営業するにしても、まずは現場を知らないとはじまらないから。中谷はそう言い、夜勤にはなるけど、最初は修行だと思って頑張って、と言った。面談は短く、ものの五分ほどで終わった。
 
就職活動が解禁された直後、自分が働くことの実感が全く湧かなかった。とりあえず同級生にならってイベントホールで開催される合同説明会に行ってみたが、同じ格好をした無個性な学生が集まり、話を聞いている光景に圧倒された。

率直に、気持ち悪い、と思った。どの企業も似たような担当が似たような説明をしていた。話す側も、話を聞いている側も、一様に似た格好をしていて、全員が同一人物なんじゃないかと思ったほどだ。
 
学校では、就職課の担当が就職活動について指南してくれるイベントもあった。自分のやりたいことは何か、深掘りしてみましょう。自分の強みと弱みを把握しましょう。エントリーシートと履歴書は添削してもらいましょう。面接は、模擬練習を重ねて、万全の準備をして臨みましょう。

そのような説明を受けたが、全く意味があるとは思えなかった。第一、みんなが同じことをしていても、その中で能力の優劣がはっきりするだけで、なんの意味があるのか、とさえ思った。
 
当たり前の話かもしれないが、本格的に就職活動がはじまると、厳しい現実に直面することになった。大学ではスーツを着こなし、ハキハキと自分の意見を主張する生徒などどこにもいなかったはずなのに、今までどこにいたのか不思議になるぐらい、そういう学生に大量に遭遇した。
 
僕が通っている大学はそこそこ名が通っている大学だったので、就職ぐらいどうにでもなるだろうと甘くみていたのだが、全くそんなことはなかった。面接どころか書類選考で撥ねられる日々が続き、最初はいちいち落ち込んでいたが、いつしか慣れて当たり前の感覚になった。
 
この世には星の数ほど会社があるが、学生に馴染みのある会社はほんの一部だ。合同説明会は僕でも知っているような有名企業しか出展していなかった。

とりあえず知名度が高いというだけで、メディアや大手商社を受ける友人は数多くいた。確かに考え方としては間違ってはいないのだろう。しかし、僕たちはおそろしいほど社会を知らず、どういう会社が社会を動かしているのかも、ほとんど何も、と言っていいほど知らない。
 
であれば、絶対に偏りが生じるはずだ。つまり、学生に異常なほど知名度が高く、競争率の高い会社がある一方で、学生にはほとんど知られていないが、実は重要な会社もあるのではないか、ということである。

もっと極端なことを言えば、どの会社にも営業がいて、現場担当がいて、総務がいて、という仕組みそのものは変わらないわけだから、どこに勤めたところで大した違いはないのではないか。そんなことも考えた。
 
いったんそういう考え方に落ち着くと、少し気が楽になった。しかし、それはただの思考停止だったのかもしれない。僕は「自分のやりたいこと」を考えるのをやめ、とりあえず内定をくれたトラック輸送の会社に就職することにした。
 
部長の中谷の面談が終わってから二ヶ月後、僕は本当に配送の現場に放り込まれた。最初はトラックに同乗して仕事を覚えてもらうから、と言われ、四十代ぐらいの大柄の男と一緒に配送をすることになった。夜勤のサイクルになかなか慣れず、同乗中にうっかり寝そうになってしまうこともあった。
 
嫌だったのは、仕事の内容そのものではない。慣れてしまえばゲーム感覚でできるし、パソコンの前に張り付いて事務仕事をやるよりはわかりやすくて、いい仕事なのかもしれない。何より馴染めないと思ったのは、作業着を着て、終電で出社する必要があることだった。
 
周囲には酔っ払ったサラリーマンや学生が帰路についているなか、作業着を着て出社するのは居心地が悪かった。サラリーマンの中には自分と同年代ぐらい、つまり新卒に見える人もいて、なぜこんなことになったのだろう、と思った。
 
配送をしていると、たまに自分の知り合いに見える人に遭遇することがあった。もちろん大半は勘違いなのだが、そんなときは会社支給のキャップを深く被って、自分の顔を隠すようになっていた。


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