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抽二病(抽象的なことを考える人)について

YouTuberである「えらてん」氏こと「えらいてんちょう」の動画を見ていたら、同じくYouTuberの「スーツ」氏に言及しているものがあった。えらてん氏とスーツ氏はわりと似た系統の動画をつくるな、と以前から思っていたのだが、どうもえらてん氏のほうがスーツ氏をリスペクトして、スタイルを真似ているらしい。
 
両方とも、無編集で、ただ自分の顔を写していろんなことを話しているだけの動画。編集が必要ないので非常に効率がいいのだという。いろんなことを「やる」YouTuberではなく、ただひたすらしゃべっているだけなので、トーク力だけで勝負しているようなスタイルだ。
 
えらてんはスーツ氏のことを、「大学生だからか、達観しているというか、客観的にものをみている」と評価していた。これを見て、僕はちょっとハッとした。「大学生『なのに』達観している」という評価ではなく、「大学生『なので』達観している」という見方だったからである。

しかし、考えてみればごく自然というか、大学生、いや大学生に限らず、学生っていうのはとにかく抽象的なことを客観的に考える世代だよな、と思う。「人生とは何か?」とか、「死とは何か?」「幸福とは何か?」これ系のことはわりとみんな一度は考えたことがあるのではないかと思う。それも、中学生、高校生、大学生ぐらいの頃に。おとなになって働きはじめると、みんな自然とそういったことを考えなくなり、お金のこととか、結婚のこととか、家族のこととかを考えるようになる。男性なら、仕事や会社のことなど。
 
たぶんだけれど、学生の頃というのは利害関係が少なく、どういうことを発言してもいいし、どういうことを考えてもいい、どんなふうに行動してもいいから、思考が自由なのだ。だって、仕事をしていないのだから、職を失う心配もないし、特に利害的に対立している組織も基本的にはないわけだから、いくらでもそういうことができる。つまり、自分の人生を生きていないというか、なんでもできる一方で、どこかふわふわした感じがある。
 
おとなになって、会社に勤めて、それなりの役職について、結婚して、家族ができて、家を買って、他人を養って、家のローンの返済などに汲々としはじめると、そういった抽象的なことを考える余裕もなくなり、あまり考えなくなっていくのではないか、と。おとなに堕していくわけだ。

僕は仕事をしていて、いちおう役職をもらってはいるけれど、まだ抽象的なことを考えているというか、わりとふわふわした思考を維持している。どうかはわからないけれど、これはしばらく続きそうだというか、もしかしたら一生、抽象的なことを考え続けるのかもしれない。だから、「中二病」ならぬ「抽二病」なのでは、と思った(もはや「二」が何をさすのかもよくわからないが)。
 
抽象的なことを考えない人はとことん考えない。考える人は考える。でも、誰しも一度は考えたことがあるだろう。僕はずっと考えている。これからもずっと考えると思う。(執筆時間11分13秒)

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