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その先に楽園がないとき

ちょっと前に元大阪府知事の橋下徹の本「実行力」を読んだ。前も書いた気がするけれど、僕はほとんどテレビを見ないので、テレビで彼がどういうキャラなのかはよく知らない。しかし、例の大阪都構想のときに、大阪に出張する機会があって、街頭で「大阪都構想反対」みたいな集団が集会かなんかやっていて、なんか物々しい雰囲気だなあというのは感じていた。
 
賛否両論はあるのだろうけれど、すごい熱量で物事を進めようとしていたことは確かだ。自著によれば、大阪というのは「大阪府」と「大阪市」の行政のタテ割りがひどく、管轄が明確に分かれていて、何かをやろうとするとすぐにバッティングしてしまい、全く前に進まない体制になっていたそうだ。橋下徹は「大阪府知事」と「大阪市長」の両方を経験して、これを改善しようとしたという。そして、ものすごい時間と労力を費やして「大阪都構想」をまとめあげて、最終的に住民投票まで持っていったが、最終的には否決された。

僕は勝者から学べるものは少ないと思う。「成功要因」の多くは後付けで、「うまくいったからそんなことが言えるんだろ」というようなものばかりだ。もちろん、「失敗要因」の多くも後付けだ。終わってからならなんとでもいえる。だから、終わってから色々と分析することはできるのだけれど、本質的な意味はそんなにないと思っている。人間には未来を予知する能力はないので、結果を知っている状態で振り返っても意味がないのだ。
 
橋下徹の行ったことですごいなと率直に思うのは、それだけの熱量をもって事に当たれた、その点が大きい。それだけのエネルギーがあった、ということではなくて、「失敗するかも」と恐れることなく、前進できた、ということ。
 
努力すれば成功することがわかっているのは、努力とはいえないな、と最近よく思う。やればやった分だけ成功として残るのであれば、ただやればいいだけだから努力でもなんでもない。
 
本当に大変なのは、やっても成功する保障がない努力で、ましてや失敗する確率が高いとわかっているものに対して努力するのは本当にしんどい。努力して努力して、最終的にダメになったときの精神的・肉体的ダメージは計り知れない。だから、普通の人は、成功する見込みが低ければ、失敗に終わることを予見して足を止めてしまう。

大阪都構想なんてのは、もちろん前例もなく、弁護士にすぎなかった橋下徹が推し進めた政策なので、失敗する確率のほうが高かっただろう。そして現に失敗した。でも、成功するに足るだけの努力をした(自著によれば)。これは本当にすごいことだなと素直に思う。敗北したときにどういう心境だったのかは想像を絶する。
 
だが、世の中というのは、規模の大きさこそ違っても、こういうことばかりだ。成功するか失敗するかわからない、むしろ失敗する可能性のほうが高いことばかりだ。その先に楽園はないとわかっていても、愚直に取り組めるか、と。(執筆時間16分15秒)

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