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短編小説 『黎明』 #最終話

1話

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「まあ、そんな狐に摘まれたような顔をするな。まだ、少し時間はあるか?」

配送しているときの口調とまるで違い、服装も違うので、まるで別人のようだった。もともと中谷常務が使っていた執務室はさほど広くはないが、応接室のように使われることが多く、小さい二人がけのソファが二台、向かい合うようにして置かれている。

スピカはソファに腰掛け、向かいの席に座るように促した。わけがわからないまま、僕も席に着く。



「スピカって、どういう意味なんですか」
 
いろいろと聞きたいことはあったが、最初に口から出たのはその疑問だった。スピカは薄く笑った。

「スピカというのは、私のあだ名」

「あだ名?」

「そう。本名は桜木真珠という。スピカは、あまり一般的ではないが、和名で真珠星というそうだ。私が生まれたとき、一際明るく光っていたらしい」

「僕みたいな新卒を騙して、楽しかったですか」 

スピカが声を出して笑った。笑い顔は、配送のときに見たスピカの顔そのものだった。

「楽しいに決まってるだろ。こんなに愉快なことはそうそうないよ」

「そうですか」僕はむくれた。こんなに人からバカにされた経験は、学生時代まで遡ってもそうそう経験がない。

「鍵の抜き忘れ、輪止めのし忘れで死亡事故になったりする。抜き打ちチェックのときは、なるべくこうして肝を冷やしてもらって、安全運転に努めてもらわないと」

「そうじゃないですよ。騙していたことについてです」

「私がこの会社の人間じゃない、なんて言ったか?」

「もういいです。行きますよ。時間ないんで」

「そうか」
 
立ち上がると、スピカは僕の目を見た。

「まあもちろん、はじめから黙っているつもりだった。こちらの正体を隠したほうが、本音を聞けると思ったからだ。キミは青臭いところはあるが、職務は比較的忠実にこなす人物であることがわかった。

もちろん、最後にパンを抜き取っておいたのも、ちゃんと追納分の検品をしているかどうかを試すためだ」

「それはどうも」

「たぶん根底が負けず嫌いなんだろうな。そこも評価に値する」

「はいはい」

「そして着任早々ではあるが、キミに辞令を出す」

「辞令?」



「そうだ。来週から現場を外れて、私の部下になってもらう。人員は、所長と調整した」

「え?」

「トラックの配送はもうそろそろいいだろ? とはいえ、一年半、よく頑張った。これからは私の部下として、仕事の基本から存分に叩き込んでやるから、そのつもりでいろ」

「急ですね」

「仕事に対する舐め腐った態度も、叩き直してやる」

「わかりましたよ」

僕は立ち上がり、ドアから外に出ようとした。

「眠くても寝るなよ。最後まで気を抜くなよ。やり切れよ」
 
振り向くと、スピカが缶コーヒーを投げてよこした。僕はそれを受け取り、出口に向かう。
 
事務所の窓に目をやると、外はすっかり明るくなっていた。

<終わり>


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