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巨悪と正義は小悪党と小市民をどう扱うか

中学生ぐらいのとき、母と一緒にロードオブザリングを観に行って、あまりに面白かったので帰りの車のなかで内容について話して盛り上がっていたことがある。だいぶ昔に観たきりなので細かい内容は忘れてしまったのだけれど、とにかく主人公たちと敵対する勢力があって、指輪をあいつらに渡してはならない、みたいな内容だったように記憶している。思えばあれもけっこう昔の作品だよな。
 
そのとき母が言った。「別に戦争に負けて、敵に支配されてもいいような気がする」と。なんか意味がよくわからなかったが、要するに、正義が支配する世界と、悪が支配する世界、どちらも小市民にとってみればそんなに変わんないんじゃないか、と。
 
けっきょくあの世界で生きていくのは大変なことであり、正義側が勝利したからといってそんなに楽観視できるのだろうか、と言いたかったのかな、と。逆に、悪側が勝った場合でも、とりあえず生きていくことはできるのでは、とも。
 
そのときは中学生だったので、それ以上思考を深めることはできなかった。しかし、正義と悪は表裏一体であり、どちらにも傾きうる。さらに、小市民にとっては支配者が正義だろうが悪だろうが大した違いはなく、そのときの社会の「余裕」がどの程度があるかによって変わるのでは、と思ったのである。社会全体が豊かであれば、たとえ奴隷でもそれなりにまともな暮らしをしていた、という文献を読んだこともある。

僕はいま仕事でバングラデシュに関わっているので、同国の歴史を少し勉強した。もともと、パキスタン・インド・バングラデシュの地帯はひとつの国家だったが、ヒンドゥー教とイスラム教を信仰する地域に分かれたために、国家として分断することになった。ヒンドゥー教を信仰する地域がインドとなり、イスラム教を信仰する地域がパキスタンになった。真ん中にインドがあるので、パキスタンはさらに西と東に分断することになった。西側がいまのパキスタン、そして東側が、バングラデシュとして独立した。
 
もともとはイギリスの植民地だったが、そこから独立し、さらにパキスタンからも独立をした。その時に戦争があった。1971年のことだ。自由を求めて人々は戦った。結果、多くの人が死んだ。
 
で、いまはバングラデシュとして独立している。しかし、同国はいまの政権の汚職がはびこり(独立戦争のときに活躍した一派の延長線だ)、民主国家とは言い難い。もちろん国際社会の目もあるために、徐々にまともになってきてはいるのだが、やっぱり日本の感覚とはかけ離れているところがある。

ひとつの戦争が起きては、支配者が入れ替わって、でもまた同じようなことを繰り返してるだけなんだよな。悪というのは、たんにいま自分と敵対する勢力にすぎず、いったん戦争が終われば、どちらかの役割が入れ替わる。小市民、小悪党は、戦争というイベントが終われば、もとの生活にもどる。その繰り返しなのでは、と。
 
とはいえ、現代社会は、発展途上国の状況も含めて、何百年か前よりはよくなっていると思うけどね。いまブラック企業で働いている人だって、江戸時代の飢饉の村とかからみれば殿様のような暮らしをしていることだろう。反発する人も多いかとは思うが、事実としてそうだと思う。(執筆時間15分51秒)

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