見出し画像

短編小説 『黎明』 #07

1話

前話

「カフェイン入りのガムとか、噛んだらいいのに」

「昔は噛んでたけど、とっくに効き目なくなったのでやめました」

「どこかで休む?」

「そんな時間、あるわけないですよ」

言いながら腹が立ってきた。ラジオのディスプレイに表示されているデジタル時計に目をやると、「03:32」と表示されていた。本来であればもう次のエリアにいなくてはならない時間だ。

この夜中の便が終わるのが大体五時半ぐらい。そこから工場に戻り、朝の分のパンを積み込み、また出発する。番重の積み下ろしと積み込みは先着順であり、遅くなると渋滞して時間がさらに押す。

その合間に朝食と休憩をとるのだが、もし時間が余らなければ休憩抜きで後半戦に突入することになる。ただでさえ睡眠不足なのに、休憩なしとなると、気が遠くなりそうだった。

やっと次の店舗に着くと、適当にトラックを駐車場に停め、外に飛び出る。こんな時間なので、当然車は全く停まっていない。さっきの信号待ちのときに、キーはちゃんと腰に付けておいた。あの女がまた何かしだしたらたまったものではない。

トラックの後ろにまわり、シャッターをあげる。この店舗は新装開店したばかりで、最近はものすごい量の注文がある。トラックの下からだとわかりにくいが、番重のタワーは自分の身長ぐらいあるだろう。

僕はトラックの外から番重を引き寄せると、右手で底部分をつかみ、ステップまでおろした。そのまま足を使って地面に下ろし、台車を噛ませる。

「おー、すごい!」女はトラックの横に立ち、僕の動きに対して感嘆の声を上げた。「力持ちだねー!」

まるで大道芸人を見ている観客のようだ。

僕はその声を無視し、台車を押して店舗に入る。

「おはようございます!」納品のときは必ずその挨拶だ。ここの店舗は、夜間はバイトではなく店長が自らシフトに入っているようだ。まだ夜勤の人員が確保できていないのかもしれない。まだ開店したてということもあり、ドライバーに対する態度もやわらかい。

レジで店着証明をもらっているとき、店長は「あの人だけど」と言い、店の外を見た。店の中からでも女がトラックの脇に立って、店内を見ていることがわかった。

駐車場を含めてもほかに客は全くいないのだから、一緒にきた人物だということは誰にでもわかる。社内の人間に見つからなければ問題はないだろうと考えていた僕は、思わぬ話題に心臓が跳ねた。

「もしかして、本社の人? 視察に来てるの?」

「え? ……ああ、はい、そんなところです」

曖昧にごまかす。本社の人があんなジャージでいるわけないだろう、と心の中で突っ込んだが、部外者からみればそんなものなのかもしれない。いずれにしても、勘違いしてくれたのならありがたい。

納品を終えると、店の裏からカラの番重を回収して、トラックに乗せた。女はその様子も珍しそうに見ている。経験はないが、実演販売でも見られているような気分になった。
 
行きますよ、と声をかけようとして、何を連れのように考えているのだろう、と思った。できることなら、ここで降りてもらえたらありがたい、と思っているのに。
 
僕がトラックに乗ると、女も同じタイミングで乗り込んできた。幸い、次の店舗までも若干の余裕がある。僕は意を決して、言った。

「財布、持ってますか?」

女は訝しげに「財布?」と聞き返す。

僕が前を見たまま運転を続けていると、いや、ないけど、と答えた。

「財布がないということは、現金も当然ないということですよね。一万円あげるので、それで、もう帰ってくれませんか。たぶん、幹線道路まで行けばタクシーも流しのがあると思うので。そこで降ろすので、もう勘弁してくれませんか」

「財布はないし、お金もないよ。だけど、そんなお金は受け取ることはできないね」

「どうしてですか」

「恵まれるような謂れはないからだよ」

「いや、恵もうとか、そういうことじゃなくて、単純に帰ってくださいと言ってるんです。迷惑なんです」

「あたし、何もしてないよ。手伝おうかと思ってるぐらい」


サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。