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フローの世界を、生きていく

仮にいま自分の銀行口座に一億円があるとする。ものすごい大金だ。僕の貯金よりもずっと多い。老後のたくわえに必要な貯蓄としては十分な金額だろう。
 
しかし、いま、20代、30代の若者だったとして、一億円持っていたとしても、それだけ残りの人生の支出をまかなえるだろうか。計算してみるとわかるが、一億円ではぜんぜん足りない。サラリーマンの生涯年収は2億円と言われているから、その半分でしかないのだ。さらに、「働かない」と、支出もなんだかんだで増えるから、普通の勤め人もよりもずっと早いペースで切り崩すことになる。それに加えて、いまみたいにデフレがずっと続くのならばいいが、インフレがきたら、一億円の価値はどんどん目減りしていってしまう。そもそも、日本という国が老後まで残っていて、日本円が存続しているという保証もない。
 
たくわえが大事だ、というのはよく言うけれど、僕はフローを生きていくことが大事なんじゃないかな、と最近つねづね思っている。つまり、「先々までのたくわえ」よりも、「先々まで稼ぐ力」が重要なんじゃないか、と。いま現金で一億円もらうよりも、将来的に何億円も稼ぐためのスキルや体力を身につけるほうがいい。よく自己啓発セミナーや投資関連のセミナーで言われることだけれど、考えてみれば本当にそうだな、と思う。

僕はいま32才なので、自分が60代になったときのことがあまり想像できない。たぶん、というか確実に老化しているはずなので、体力や気力、知力はいまよりも衰えているだろう。だけど、「フローの世界に生きている」と自覚すれば、40代、50代、60代になっても十分働ける身体を持っていて、経験や知識があれば生き抜けるんじゃないか、とも思う。
 
要するに、いまのものをストックしておくというよりは、自分の将来まで「つなげていく」というか。ずいぶん手垢のついた言葉だけれど、自分にうまく「投資」することが大事なのかな、と。
 
ちょっと視点を変えてみる。少し前から、僕は創作において、メモをとることをやめた。毎日書いているブログ記事や、小説、作曲のメモを意識的にとらないようにした。普通に生活していると、ふとしたときにアイデアが浮かんだりするのだけれど、それはメモするのではなく、「忘れるなら、忘れるでもいい」と思うようにしたのだ。
 
当然、どんなにいいアイデアでも忘れてしまうと、つくることができない。でも、忘れたら忘れたで、構わずに、そのとき自分がつくりたいアイデアを考えて作ればいい。要するに、アイデアをストックしない、ということを意識するようになったのだ。
 
こうすると、不思議と「ネタ切れ」というのがなくなった。最初からネタのストックがないので、そもそも切れることがなくなったのだ。これはちょっと、逆転の発想。昔、ブログのアイデアをスマホでメモしていた頃は、よくネタ切れになって困ったのだが、いまは全くネタが切れることがない。理由は明快で、そもそもストックをしていないからだ。ネタが切れないので、ある意味無限に書くことができる。

人間はなんでも貯めたがる。お金やモノ、人脈、その他、いろいろなものを。でも、本当は「貯めた」ところで、いつかは枯渇してしまう。それよりも大事なのは、「狩る」力だと思う。魚や獣の肉を食料として貯蔵しておくことは大事だけれど、それよりも、休まずに「狩り」続けて、技術や経験、体力などを磨いておくほうが大事だと思う。フローの世界で生きるとは、そういうことだ。
 
すごい単純なことなんだけど、一番手軽な投資は、運動だと思うんだよな。最悪、仕事がなくなっても、身体が丈夫ならなんとかなる。そういうマインドで生きていこうと思う。(執筆時間15分18秒)

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