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連作の雨 : 2023


ちょくちょく更新します。

延々と続くクリスマスソングもイルミネーションも、わたしたちにはすこしばかり眩しすぎる。 何者にもなれないちっぽけなわたしたちは、それでも自分の人生の主役として生きてゆく。時に、互いの暗闇に星をやさしく灯すなどして。
ひとりで旅をするならば自由だ。どんな旅にでもできる。しかしすこしばかり、助手席の空白に思い出してしまうものもある。夜ならばとくに。 セダンの男が振り返る。スポーツカーの曲面に映る夜の灯は、たしかに過去のまばゆさに似ている。
眠りに入る直前なんてものは、たいていよくわからないことを口走ってしまうものだ。でもその瞬間まで考えていたことって、とてつもなく大事なものだったりして。知らんわ。寝なよ。曲とかかけていいからさ。
今は今、コンタクト取の翁といふものあらざりけり。まあそれは置いといて。たぶんひとが泣くときに必要なのは、傘でもハンカチでもないんじゃないかな。
ひとたび描かれてしまえば、絵の中の花は枯れることがない。しかしそれは手向けの花にも、過去という花にもなることはできない。 そのようにして奪ってきたものばかりだ。花盗人は罪にならない、とはいうものの。
「いきなり忍者が現れて全員を倒すほうが面白いなら、そのストーリーはよくない」というのをサプライズニンジャ理論というらしい。人生は大体そんなもんで、じゃあここで忍者を登場させます。はやく来いよ。出番だよ。
海を知らなかった水が海へまざってゆくように、ゆっくりと互いのことを知ってゆく。そういう関係で訪れる海は、すこしばかりやさしい貌をしている。ゆっくり食べな。
望みはなくとも、祈りを捧げたくなる相手がいる。遠い過去へ向けて、あるいはまだ見ぬ将来へ向けて、わたしは陳腐なことばを歌いつづける。きみと過ごした海を持つ、この遊星より愛をこめて。
自分の若さを信じられないまま、いつもなにかに遠慮しながらここまで生きてしまった。自分の青さには気づかず、しかし青さを求めてしまう生活ばかりしている。壊すこともできず。
たまには平仮名のように、ゆったりとここちのよい生活をしたい。しかしさびしさもまぶしさも同じようにひらかれてしまって、相変わらず鴨は水面のさざめきと戯れていた。
どんなに親しくても、埋められない距離というものはある。それは埋めるべきではない距離で、でも時々見誤って踏み越えてしまうのだ。すべてをひとしく濡らす雨や、きみに似てまぶしい夜の灯のように。
恋も愛も、はじまる少し前くらいがいちばん楽しくて、心が揺さぶられるもの。なのだそうだ。はじめるとはすなわち終わりに向かうということで、それでもはじめたくなってしまう。はじめよっか。
大抵、写真のフォルダなんてものはきれいなもので溢れている。それがすこしでも自分自身をきれいに見せるためなのか、きれいなものしか好きでないからなのかは知らないけれど。そしてそこから消してしまうものもある。きれいなことに耐えられず。
花にまつわる記憶はさほど多くはない。記憶は永遠ではなく、やはりもうほとんど花の名前を思い出せない。しかし、例外もある。 『別れる男に、花の名をひとつは教えておきなさい』
ほんとうの自分なんてものは、自分にだって分かりやしない。そうやってあやふやな人生を、あやふやな一人称とともにやりすごす。さながら雨をやりすごすように。いつかは青空になる?
あまり映画を見にゆくタイプではない。それでも時々足を運びにいってしまうのは、なんとも言えない甘さとむかし見た夕焼けのせいだと思う。夕焼けで泣いてしまったことが、一度だけある。
歩こうと思えば歩くことのできる距離に、どれだけの過去を抱えているかなんて数え上げられる人間はいない。いつかは抜け落ちてしまうのだ。しかしふと、病のようにぶりかえすこともある。どうしようもない熱を帯びて。
人生を無為に過ごしてしまうのが、ある種の癖になりつつある。どのように生きてゆくのが安全で適切なのかなんて、誰にも分かりはしないのだけれど。また繰り返すの?
涙を流すときにも汗が滲むときにも、身体が水分でできていることを自覚させる。そしてその水分が、また文学を覚えてしまう。疎いままならしあわせでいられるのだろうか。そうかな。
関係性に名前をつけてしまうと、いつか終わってしまうし。まあそれでも、造語ならばすこしは違うかもね。レモネード、飲む?
もう久しく来ていない街ならば、追憶の雨に飲まれることはない。買い足した傘を携えて、おだやかな逃避行。すこしだけ仲良くなれただろうか、この街と。
どんなに変わっても、文学だけはやめられない。誰に届くとも思ってはいないけれど。でもそうやって生み出したものが無駄ではなかったのだと思うのは、そう思わざるを得ないからなのか。そう思いたいからなのかは分からない。相も変わらず、死ぬことができない。
終わってしまった関係に折り合いをつけた気でいても、眠っているあいだはどうしようもなく無防備だ。そうして起きてしまって、やはりどうしようもなくて、海へと雨を注ぐように水を飲み干した。
雨は古来より、恵みと災厄の象徴だ。雨がなにを言いたいかなんて、だれにも証明はできないけれど。 即物的なきみはまた本を買い足す。たまには読んだらどう?
この世のすべての作品は、現実の二次創作だ。どんなにオリジナリティを求めてもそれは変わらなくて。でも、その日の月はそれはもうきれいだった。いいじゃんね。
この世界を、景色を、きみは白黒に分けたがる。似たようなものを同じ色にまとめたがる。それでいてまた、空の青さを語るのだ。もうやめなよ。
生命は眠っている状態がデフォルトらしい。それに抗って、何者にもなれない自分自身のことを考えてしまって、そういう夜のほうが多かったりして。でも、眠ったほうがいいよ。
棘のないことばなどなく、わたしはいまだに濡れてしまった肩のことを忘れられないでいる。どのにんげんにも平等に愛があれば、しあわせがあればと願ったところでそうはならないのにね。 仕方がないからすこしだけ、雨傘をきみの側に寄せてあげたこと、知らないでしょう?
なにがロックかなんてわからないし決める気もないけど。パンはパンでも食べられないパンはな~んだ。
どれだけ向き合っているかなんて、自分にだって分かっていやしない。ただすこしでも永遠であるように、生きた証としてのことばを。
過去からは逃げられない。そして同時に、二度とたどり着くこともできない。過去がもう咲いてしまった花だとして、わたしはそれを摘んで花束にすることもできないのだ。
白であっても清濁を決められてしまうことがある。それならそれでいいけど。きれいなものばかりを詠んでゆけないし、わたしのふるさとに海はない。じゃあね。
飽きても飽きても飽き足りない。星の瞬きにも、それをかき消してしまった風にも。たしかに、いつになっても風は見えない。
お酒を追うようにして飲む酔い覚ましの水を、チェイサーというらしい。 きみは自罰的な自分に酔っていて、わたしはそのゆらめきを追いかけるしかできなくて。 一緒に眠ってしまえばそれはもう呆気なく、余熱を覚ます雨のことしか覚えていない。ことにするほかなく。
大人になるのはいつからだろう。 子どもに戻りたくなったときか。花の名前を忘れたときか。自分の肩を濡らす雨を受け入れられなくなったときか。 その事実を受け入れて生きるしかないと、あきらめて乾いた生活をくりかえす。そうしてまた過去を増やしてゆく。
ひとは無意識のうちに誰かに監視されているかのように振舞ってしまう。らしい。まあそんなことは置いといて旅にでも出よう。そうしてドアを開けて部屋を出た。いとも簡単に。
銀河系とアンドロメダ銀河は、遠い未来にはぶつかってしまうらしい。星のかけらでできたわたしたちは、星のように生きられるだろうか。星のように死ねるだろうか。輝きながら。
ここを監獄とする。ぼくは罪人。当然だ。それ以外の選択肢などないのだから。するとそのうち、囚人は囚人らしく、看守は看守らしく振舞うようになるらしい。罪を犯した過去にいつまでも監視されながら。
きれいなものはきれいなまま終わるといいな、と思ってもないことを思う。残念ながらそうはいかないが。瀟洒な愛を飲み込めないまま、空っぽのわたしはよく文字列を吐く。もう眠ろうか。
なにかを始めるというのは、すなわち終わりに向かうということだ。この星では、終わらせることしかできやしない。縛りつけるような永遠の愛でさえも。矛盾。
ひかえめな仕草ではたしかに伝わらない。伝わらなくてもいいことはあるけれど。
ありえたかもしれない未来というものは無限に存在する。そのほとんどは叶わない。しかし叶わなくとも、再び会うことならばできる。その意思があれば。
どんなにんげんにも影があり、純粋でいられない嘘や虚無がある。海は透明に見えるが、その底まで見ることはできない。あきらめなよ。
格好つけようが泣きはらしてしまおうが、それは不可逆的な別れには違いない。雨にさよならをいう方法はいまだに発見されていない。
『古いエンジンオイルは、どう足掻いても完全に抜き切ることはできない。どうしようもない終わりを迎えた恋の話を、時々思い出してしまうように。』
合わせ鏡の像は、無限にはつづかない。見えないままに消えてゆくもののほうがほとんどで、わたしにもやはり見ることはできなかった。
鏡を合わせると、鏡像はどこまでも続いていく。そういう幸せを繰りかえす。たまに目を閉じたりして。
もう会うことのないひとのことを、時々思い返す。それは祈りにも似て、しかしどことなく影を持っていた。考えてもどうしようもないと分かってはいるのだけれど。
高速道路で川を渡るとき、標識の英語表記はときどき意味が重複していてちょっと面白い。同じ曲を何度も口ずさんでしまう癖みたいだ、と思う。 違う曲も口ずさめるようになれるだろうか。渡り終えるころには。
どんな関係にも、いつかは終わりが来る。大抵の終わりはそれはもう悲しく、虚しく、海へ注ぐ雨のようにも思えてしまう。 しかし、わたしたちのそれは少し違ったようにも思う。今思えば、場違いなまぶしさを放つ檸檬がそこには在った。
人類のつくった探査機は、もう太陽系の外にいるらしい。いつか誰かが解読してくれるだろうか。星のかけらから生まれたわたしたちが、確かにここに生きていたという証を。
上の連作と同じ内容です。読みにくいかもしれないので短歌単体でおいておきます。

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