見出し画像

誰にも褒められないから、やめてしまう


見ていてくれている人から、「上手になったね」「良くなったね」と褒られたら、仕事にできる人が増えるだろうな・・・

「アリスとテレスのまぼろし工場」を見て、そう思いました。



大人になり、たいして変化のない、同じような毎日を繰り返す。

同じが続くことで、漠然とした未来の不安が和らぐ。というより、見ないようにする。

変化が怖くなる。

大人になると、新たにチャレンジするのには、それを続けるには、力の源が必要です。

アリストテレスの言う「エネルゲイア」は、種子が花となった段階。

「カラーを学びたい」というエネルゲイアに希望を注ぎ、変化して花となった状態が、「養成講座終了段階」

「希望とは、目覚めている人間が見る夢である」

とアリストテレスは言います。

そのエネルゲイアから、さらに可能性を求めて、「色を仕事にする」という目的達成の「エンテレケイア」の状態になれる人は、本当に少ないです。

常に希望が必要です。

その希望は「褒めてもらうこと」で、現実になるのだと思います。



社会に出ると、独立すると、「お金を取るなら、できて当たり前」となり、ミスすると怒られます。

「ありがとう」と感謝は嬉しいですが、社交辞令には感情が少なくて、人生を変えるほどのエネルギーを得ることはできません。

一日何度ありがとうと言って、何度言われるでしょうか?

たくさんの「ありがとうが」社会を回すために、次々と流れていきます。

「私、ブレンドシーズンに迷うことも少なくなって、上達したな」

と自分で思ったとしても、

お客様から「すごく参考になりました。これからが楽しみです!」

と言われたとしても、その重力はすぐに消えやすくて、また同じような明日に気力を注ぎます。

人は、何かができるようになると、喜びを感じます。

自己満足でも活力になりますが、人に褒めてもらえると、すごいエネルギーを生みます。

ピアノも野球も、プロになった人は、子供の頃褒められた経験があるはずです。

あなたが子供の頃に続けていたことも、きっとどこかで誰かに褒められたことだと思います。

褒められると好きになり、もっと上手くなるから、スキルになります。

誰に褒められるかも重要で、心のつながりが薄い人からではなくて、

身近で自分をちゃんと見てくれている、自分より少し上だなと思う人から認められて評価されると、爆発しそうなくらい、心が動いてエネルギーが生まれます。

先生(師匠)や目標の人、親や親友など。



褒めてもらうと、自分の存在が肯定されます。

集団で生きる社会的な動物にとって、そのコミュニティに「いていい」ということは、生存率が上がるということで、とてつもない脳内麻薬が出るDNAの設計になっているのでしょう。

私だったら、

「前から投稿を見ています。〇〇の投稿の、微妙なニュアンスが伝わるの笑顔が好きです。本の表紙とwebのイラストをお願いしたいです」

と褒められたら、嬉しさのあまりのたうちまわって、この日のために生きてきたのだと思い込めます。

その瞬間は、忘れることができない瞬間となり、一生で何百回と思い出しては、エネルギーにすることができます。

「アリスとテレスのまぼろし工場」で、そのようなシーンがあって、落涙してしまいました。

「仕事になるかどうか」「将来お金になるかどうか」ではないのです。

今、自分の存在を、認めてくれる人がいれば、生きている実感が持てて幸せなのです。



SNSで「こんな仕事しました」「これを買いました」などの発信には、「褒めてもらいたい」が、自慢やマウンティングよりも奥のレイヤーにある気がします。

奥に目立たず、そっと置いたものを見つけてもらいたい。

気付いて、拾い上げてくれる人に出会いたい。

フォロワーなどの薄いつながりの人から、毎回毎回「社交辞令100いいね」「◯◯先生、すごいですね!」があるよりも、親や先生などから、たまに届く「本心からの1いいね」「すごいね、頑張っているね」の方が、よっぽど励みになると思います。

励みがあるから、続けられる。

繰り返しの中に、やってて良かったと思える日がくる。

ですので、エンテレケイアとなった皆様は、ぜひぜひ養成講座の卒業生や生徒を、褒めてください!

きっとエネルギーを貰える人が増えて、希望が広がっていきます!!