妖精配給会社の怖さ

星新一作品と出会ってから10年以上経つ。文庫本での「ノックの音が」から始まり、未だに幾度となく読み返している。どの時代でも通用する設定から、裏切り、綺麗で胃もたれのしない文章。書く上でのお手本的な存在だと思う。自身は大抵文章が無駄に長い上によく見たら大したことも言ってないので(創作の上で致命的)、真似をしようにも苦戦するのだが、これが教養というものの差なのだろうなと考える。
1000以上のショートショートを書き遺されているので、作品ごとの出来不出来の差は勿論あるのだが、まあそれは本当に高いレベルでの話である。
その中でずっしり心に残っている話がある。そもそも口当たりが軽い作品が多く、それが大きな魅力である中でそのような作品は珍しいのだけど「妖精配給会社」は人生の考え方においても影響を及ぼしている。
この作品の読み方として正しくはないのかもだけど、これを読んでから「大抵の人にとって、他の人を気にかけるということは、強者、弱者関係無く真っ先に崩壊する感情なんだな」と思うようになった。
(この先小説のネタバレあり)


この作品の中で無条件でその人にとって甘いことをささやいてくれる妖精が開発されるのだけど、それをペットとして商業的に売り出したところまあ現代のスマートフォン並みに欠かせない必需品となった。妖精を利用するための対価があまりにも安いから、誰もがその虜になるのだが、家族も自分の仕事も、何もかもをほっぽり出すようになり、何かが崩壊していく、というのがあらすじなのだが、ここでの主人公はある理由でその恩恵を享受出来ない。その身から人々の考えを憂いたり、諦めの感情を抱いたりする。これを読んだ時に、「誰であろうと」虜になっていく恐怖を感じた。
ネット上を見ていると社会の弱み、特定の人の考えを軽視したことに敏感に反応する人が多くいるように見える。○○について鈍感な人は非常識だ、人間としてどうなんだ、知らなかったことに対しての批判をする中でいかに自分は考えているか、弱みと向き合っているかをアピールする、そんな人。作品の中にも当然、自分が弱みを知っているからこそ敏感な、今のようなネットがあれば吐き出しているような人が出てくるのだけど、主人公を除けば、皆が妖精に夢中になっているだけで、主人公の境遇を知ろうとする人、共感する人などほぼいない。おそらく今、ネットでそのお気持ちを吐き出し続けているような人も、そんな妖精がいれば、何もかもどうでもよくなるような人ばかりなのだろうなと思うようになった。
あと主人公が妖精の恩恵を享受出来ない理由は最初に明かされるのだけど、これをもし最後まで引っ張ってオチで明かすように調整すれば、見ている私たちの鈍感さに気付かされるタイプの小説になっていたと思う。あえてそうせずに最初に明かした理由は「もう一人の力ではどうにも出来ない世界」の絶望感を簡潔に出すためだと思う。
例えその人の境遇を知っていようが、苦しんでいようが、自分自身が弱みを持っていようが、本来は共感し合う存在だろうが、この妖精の仕組みを崩そうとは全く思わない、その絶望感、それを今この時代をほのめかすように書いている、と思う。


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