日本の国立大学が筆記試験を重視すべき理由

日本、韓国、中国といった東洋では、欧米諸国に比べて大学入試において筆記試験が重視されている。しかしながら、この潮流は、少なくとも日本ではAO入試や推薦入試の増加に伴って、亜流になる可能性を秘めている。

成績が最もいいのはAO入学者 東北大、早稲田大の内部資料で判明|大学入試改革の「本丸」|朝日新聞EduA (asahi.com)

この記事は、約1年前に大学教育、受験界隈では有名になった記事だと思う。タイトル通り、AO入学者は概して、一般入試合格者と比較して成績が良い傾向があるということである。

それでは、AO入試の一般的な傾向を見ていこうと思う。

「総合型選抜(AO入試)とは、アドミッションズ・オフィス(入学許可事務局)の頭文字で、海外で始まった試験方法です。テストの点数だけではわからない、志願者の能力を様々な側面から評価し、合否を決定します。志望校入学への強い意志や自分自身と大学との適性をはかることを目的としています。」(栄光ゼミナール「[高校生必見] 大学入試でよく聞く総合型選抜(AO入試)とは?」

テストの点数だけではわからない、志願者の能力を様々な側面から評価し、合否を決定するというのがAO入試の特徴だが、これを簡潔に言い換えると、

・授業成績が良い
・課外活動が豊富

であることがAO入試で特異的に重要視されている。
こうした実績を積んでいる人が優先的に入学した場合、一般入試を経た入学者に比べて、学業成績が優秀であることは至極当然のことである。

それに加えて、AO入試に合格する人はどういう傾向があるか考える必要がある。それは、
・(高校までの)授業成績を良く取ることが、今後の受験に有利であることを見据えている
・課外活動の豊富さが、授業成績に箔を付けることを知っている
人である。

AO入試を否定するつもりは毛頭ない。実際に大学教育の成熟度が高まったという現状を鑑みるに、AO入試は存続すべき制度だと思う。

しかしながら、上記で挙げた項目をクリアしないと大学に入学できないという社会は作られるべきではない。

日本の入試制度は、「本番一発で理不尽である」という意見があるのは承知だ。その時々の健康状態で、受験結果は多少なりとも変動することは日の目を見るより明らかであろう。
そういった需要から、AO入試が脚光を浴びつつあることは想像に難くない。積み上げた努力や経験を無碍にする入試制度は、道理的に宜しくないと考えるのは、育児の当事者となれば自然に思いつくべき考えであろう。

だが、こうした応益原理は、経済格差を教育格差に紐づける可能性を大いに孕んでいる。

私は累計で半年以上は欧州に滞在した経験がある。(M1:7か月―交換留学、D2: 2週間―学会、研究室訪問、D3: 1か月―研究留学)
そして、今アメリカの学会に参加している。

そこで驚くことが、彼らの幼少期の海外経験の多さだ。勿論、欧州はEUという連合組織を持っている点において特異であることは事実である。
しかし、そういった物理的な距離以上に、留学を含めた海外経験に対するコスト許容度が高いことに驚愕した(非英語圏では顕著である)。これは、両親が高等教育における海外経験の重要性を理解していることは想像に難くない。

一発本番型の筆記試験は、こうした応益原理から真っ当勝負している制度の一つだ。なぜなら、勉強の重要性にいつ気づいても、筆記試験で合格すればよい大学に入ることができるからだ。これは知的産業の参入機会が社会階層に関係なく開かれていることを意味している。

特に日本の入試では、教科書の内容を逸脱した試験を作成することが非常に難しい状況になっている。つまり、可能性の議論をするのであれば、大学が何たるかよく分からないド田舎の学生が、学力さえあれば東京大学に受かる可能性が常に開かれているのだ。

こうした教育における富の再分配は、社会の分断を止める一助となっているといえる。同時にAO入試を批判するよりは、一般入試の社会的な重要性を強調していくべきではないか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?