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今年を振り返ってはみたが - 1111文字

日記を書いて提出しなさい。

小学校で出された最初の宿題でした。はて、日記とはなんぞや?、と、こんな口調ではなかったでしょうが、どうしたものかと思っていたら、その日に起きたことや思ったこと、考えたことなどを書きましょう、と。

なるほど。では、書くのは次の日だな。なぜなら、当日に書いたら、書いた後のことを書けないじゃないか。そんなことを考えてしまったので、最初の宿題を忘れるという残念な結果となりました。

初めての宿題を忘れるとは、と、なにやら大げさに嘆かれたように思いますがこれは編集され捏造された記憶かもしれません。ともあれ言葉足らずに説明を試みたものの、そんな馬鹿な話はありません、と一蹴されたのは確かです。

じゃあどうすればいいのか。その答えが見つからないまま宿題をすっぽかす日々が続きました。そもそもなぜゆえにプライベートを公開せねばならぬのか。そんな理不尽にまみれて最初の数ヶ月を過ごしたような気もしますが、今となってはどこまで事実なのかは怪しいもので、また、どうでもいいことでもあります。


棺を蓋いて事定まる。

ある人の評価は、その人が生きている間に公平に下すことは難しく、死んだ後にならないと定まらないということ。

コトバンクより

隆慶一郎で知った言葉だと思います。もはや記憶の彼方ではありますがそこもどうでもいいことです。隆慶一郎といえば世間的にはやはり「一夢庵風流記」でしょうか。「花の慶次」の原作です。個人的には「死ぬことと見つけたり」。同じ本を読み返すことは滅多にないのですが、その数少ない例外の一冊です。(上下巻なので二冊ですけど、というのはともかく。)

氏は平成元年に他界。死因は肝硬変とのことです。酒なんだろうなと勝手に想像します。「死ぬことと~」の、酔っぱらいに優しい主人公を思い出します。こんな理不尽な世の中は、酒でも飲まなきゃやってられないよ、と。

そういえば今年は酒を飲んでないような気がします。記憶をたどってみましたがどうやら飲んでいないようです。会社の忘年会はありましたが早々に逃げました。例の感染症対策です。気を緩めるにはちょっと早いでしょう。

12月30日の正午を少し過ぎました。残りざっと1日半。飲むこともないでしょう。年が明ければそれが確定しますが、どうでもいいことでもあります。いまから飲んだとしてもやはり同様で、いや、昼間っから飲むのもどうかと思いますけど。

まぁ、要するに、その年を振り返るのは年が改まってからにするべきではないでしょうか。最後の最後まで何が起きるか分からないのですから。

と、そんな屁理屈を捏ねながらぐだぐだと書いた日記のようなものを公開してしまうのですから不思議なものです。

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