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201231【当落線上でしがみつく】

自分がピッチャーをやっていて思うのは、スロースターターなのか、初回から球のキレや調子が良いかなんて、投げてみないと分からない、そんな感じだ。マウンドや球場にも寄る。ってプロみたいな言葉もつける。田舎で高校野球をやっていると、正直「こんなところでやるの。」って愚痴が出てきたりする。とある高校で試合をした際、ピッチャーマウンドのプレートは、一球一球投げることに埋め込んだ部分が弱り、プレートを蹴るように投げる自分は、何球か投げたところでプレートが外れ、コントロールを失ったことがある。タイムをかけて、「すみません、プレートを固定し直してくれませんか。」と主審に相談したが、「ごめんなぁ、次回までに直しておくから、我慢してくれ。」と言われた。いや、二度とこんなとこ来るかと思った。とある高校の敷地内で作られた球場というかダイヤモンドでは、外に打球が飛んでいかないよう網を張っているのだが、網がほぼフェアゾーンまで侵入してきて、キャッチャーフライや内野フライまでもが網にかかり「ファール」とされたこともあった。

満足な設備がない環境での部活動、試合。高校野球に限らず、色んな部活でそんなことがあると思う。私立高校や全国大会、甲子園出場校は設備が充実していて、訪れる度に驚く。まあ、自校は町営だったかな、高校の近くの球場をほぼ年間通じて借りているようで、ナイター設備はなかったが、毎日のように野球場でボールが見えなくなるまで練習ができたのだから、少しは優遇されていたと思う。自分は結構、マウンドに上がると、相手バッター、相手チームのことはもちろん考えるんだけど、色んな事を考えながら野球、ピッチングをしている。投げる瞬間は一球入魂だけど、自分が投げるまでは、試合はほぼ止まる、ピッチャーである自分が投げないと試合は始まらないし、アウトもセーフも、ホームランも生まれないから、試合のイニシアチブは握れていると思っている。だから、ピッチャー、辞められないのよね。

この試合もそんな事を考えながら投げていたのかもしれない。夏のベンチ入り枠を天秤にかける絶好の時期、試合だった。なのに、初回、先頭バッターにヒットを打たれ、送りバント、内野フライで2死2塁。バッターは4番だった。カウントは覚えてないけど、インコース・ストレートのサインが出て、投げた瞬間に甘く入ったって分かったの。4番バッターの一振りは左中間真っ二つ。先制点を与えてしまい、「あぁあ、今日もダメか。」と思った。この一球はよく覚えていて、120キロちょいのストレートで勝負しては力負けする、まともに行っては打たれるっていうのは、遅いながらもこの時に分かって、ここから方向転換をすることになった。そんな事を当時、本当に思っていたか分からないけど、2回以降のピッチングは冴えに冴えた。開き直ったという言葉も合うかもしれないが、2回以降、「あ、これ打たれないや。」っていうゾーンに入ったの。たまに起きる、マウンドで球を投げるこの自分だけしか分からない、この状態。トランス状態とは異なるが、中学時代にも幾つか起きた、「あ、これ打たれないや。」という状態。でも、野球ゲームの「絶好調」とは違う状態。ううん、マリオカートだったらスター状態みたいな。キャッチャーのサインに首を振ることもほとんどない。速くはないストレートとキレが良いわけじゃないスライダー、ドロっとしたカーブととりあえず思いっきり腕を振るチェンジアップ、右バッターのインコースにはツーシームをシュートさせるように投げる。この出し入れでしのぎを削ってきた。初回打たれたシーンは蘇るが、それ以降はピンチもなく淡々と抑えて、7回を投げきった。

そこで、お役御免で交代になったが、なにか、いつもとは違う満足感に浸ることができた。ベンチに戻り、「ナイスピッチング。」とあまり声をかけられなかったのは、自分が自分だけの世界に入っていたのか、それとも、ベンチ入り争いの邪魔をするな。という見方もあるかもしれない。田舎の公立高校、ベンチ入りは年功序列で。みたいな雰囲気もあったが、目指すは甲子園、ベストメンバーを選んで夏の大会を戦うという方針に皆納得していた。だから、8回以降、自校の守りの際、2番手の同期のピッチャーに対して、「ナイスピッチング。」とあまり言えなかったのは事実。自分の人間性が分かるけど、ライバルの活躍って、あんまり喜べないの。性格が悪いというか、もうその時点である程度の人間形成ができていたんだろうな。今30年ちょっと生きてきて、自分は負け組なのかもしれないけど、ちょっと勝っているところもあるんだぜ。くらいのスタンス。一番タチが悪いのかもしれないけど。上を見れば青天井にライバルはいて、田舎に帰りたくもなる東京。ただ、帰る田舎はほぼないし、勝手に、「田舎に帰るときは負けたとき」と決めている。何も、プライドなんてないのだけど。

ベンチ入り争いは、自分は何とか最低限の結果を出して、後はライバルが堕ちていけ。という他力本願、白球を追う高校球児とは間逆な考え方で過ごしてきた。まぁ、こんな高校球児が少しくらいいても良いでしょう。たぶん、自分みたいな考えの高校球児は絶対いるから。少数派だと思うけど。

試合は自分の初回に打たれた1失点が決勝点となり、見方の打線は奮わず、1対0で負けてしまったが、充実感のあるピッチングだった。試合後、グランド整備で先輩とピッチャーマウンドで落ち合う。何度も書いているが、夏のベンチ入りは早々に諦め、音楽の話ばかりしている人、また、昨日のマネージャーとの夏祭りデートを命令してきた司令官だ。レーキ片手におらおらと歩いてきた。そうそう、その時先輩はケツメイシの「君にBUMP」を歌っていた。当時、流行っていたし、先輩、暇さえあればバンプバンプ歌っていた。

「ナイスピッチングじゃん。」

「ありがとうございます。」

「アイツ、アゲマンだな。」

やっぱりソコに触れるのね。

「付き合っちゃえよ。」

「先輩、ソレはキツイっす。」

「まあ、それは冗談ね。つうかお前、来週、遠征、行けんじゃない。」

「行けたら良いですねぇ。」

日が傾きだした6月の日曜日。次の週末はホームグランドではなく、群馬県まで遠征に行く。1年前、初めての他県遠征で、食べることもトレーニングだと洗礼を受けたあの地へ。翌日月曜日の全体練習時に監督に呼び出され、当落線上だった自分の、先日のピッチングを評価され、次の週末の夏のベンチ入り、最終選考試験に滑り込むこととなった。その遠征で結果を出せば、夏のベンチ入りが見えてくる。それまでは、マネージャーの彼女のアゲマンパワーを引っ張ろうか。遠征は3学年計60人以上いる部員のうち、30名くらいしか参加しない。いわばAチーム・レギュラーメンバー、ベンチ入り争いの面々と3年生はほぼ全員参加する。先輩はほぼ道楽のようなカタチで遠征を楽しみに行くと思う。登板予定なんてないから、移動のバスから試合中もバンプバンプ歌っていることだろう。先輩の嗜好に合わせてカセットテープを作ろうか。移動中のバスの中のBGM、カセットテープの作成に力が入る。
そんなところに力を注がないで、トレーニングなり、どうやったら相手バッターを抑えられるかを考えろと。でもね、自分は一立場としては普通の高校生。外泊できる、何処かに行けるって、ちょっとワクワク、ドキドキするの。学校と野球場と自宅の往復しかなく、画の変わらない高校生だから。大人になって、ワクワク、ドキドキするシーンが減ったのは正直なところ。もっとワクワク、ドキドキ生きたいな。それはプラスかマイナスか分からないけど、多少のハプニングと、ベンチ入り争いの面々が絶不調で週末を迎えろと最後は他力本願に願いを込めて。

自分は、金曜日の放課後、学生服から野球部のジャージに着替え、群馬県を目指すバスに乗り込んだ。アゲマンの彼女は遠征に帯同しなかった。ジャージを着崩した先輩の「君にBUMP」からDJのように繋がれた「サクラ」の鼻歌が聞こえだし、バスが走り出すファンファーレのようだった。

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