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201210【マネージャーと恋と先輩と】

野球部の1個上の先輩マネージャーとの1日のデートは終わり、終電を待つホームのベンチ。この時間って、何を話せばいいのか分からない。今日1日の感想を聞こうとしてストライクを置きにいったら、打たれそうで心配だ。グッと曲がる変化球でグッと彼女との距離を詰めることができたら良いのだが、そんな事自分にはできなかった。電車が入線してきて、間もなくドアが開く。うわー、時間がない。なんでこういう時に女性をエスコートできるような訓練をしてこなかったんだ。というか、そんな訓練、義務教育では学ばないし、選択授業なるものでも存在しなかった。日本の教育は、恋愛と金儲けを教えてくれない。それを教育と言っていいものか分からないけど、高校時代にまったく分からなかった因数分解は、社会人になった今、何に役立つのか。

社会に出て、金儲けというと、言葉がワルいが、大人になったら、日常にあるのは、ビジネスと恋愛だ。もちろんそれ以外もあるけど。この2つを教育で教えてほしい、ミライにニッポン。そんなことより、頭の中でゴスペラーズの「エスコート」が流れ出した中、自分は彼女に向かって言った。たぶん唇を震わせながら。

「あのっ、抱きしめても良いですか?」

当時の自分からしたら、心臓に汗をかくことはこういうことかと振り返る。たぶん、手のひらも変な汗、かいていた。野球の試合中だったらロジンバッグをいつも以上に握って落とせばいいのに。恋愛ってなんやねん。

「良いですよ。」

彼女は一言だけ。

「え、いいの?」

自分は頭の中で呟いた。

自分はベンチから立ち上がり、右隣にいる彼女と向かい合った。ええと、両手を出して、自分からいけば良いんだよな。お互いが恥ずかしいのだ。ベンチはプラットフォームの端にあり、入線した電車から離れたところだったため、誰かの視線を気にすることはない。自分は彼女をハグした。全然ロマンチックに書き上げられないけど、ムズキュン展開な最近のドラマみたいなハグ。

「うわ、あったけー。」「女の身体だ!!」

たぶん、そう思っていたと思う。そこから、「行きますか。」と一言伝え、ラブホテルではなく、電車に乗ることにした。電車に乗るまで、自分は彼女の手を繋いだ。

ここはスッと。スッとね。この自然な手の繋ぎ方は、今までの人生で一番かと思う。最初の手を繋ぐのって、緊張するのよ、自分は。性風俗の時は、女の子からスッと来るけど、素人の子は大変よ。素人は。

終電は走り出し、先に彼女が降りた。どこまで手を振ったか覚えていないけど、「また遊びましょう。」とだけ伝えた。自分は何か熱くなっていた。それから彼女にメールを送り、何故か自分が自宅最寄り駅に着き、電車を降りた時に、彼女と電話もした。そこで「好きです、付き合ってください。」と言ったら、また世界は変わっていたのかもしれないが、何も言えず、その電話は終わった。自宅に帰って、彼女のことを思い出しながら、何チャラをしたことはここだけの話。ただ、その後、彼女とデートすることはできなかった。彼女とは、最初で最後のデートで、最初で最後のハグだった。

数日後、野球部の中で話が回ってきた。一個上、デートした女子マネージャーと同い年の先輩から言われた。

「お前、デートしたんでしょ、好きなの?」

なんでそんな情報が流れるの。情報って怖い、噂話ってホント怖い。社会人になって、今の仕事をしていてもそう。「そんな情報、どこで手に入れたん。そして、なんで言いふらすの。」と。

先輩からは、「プリクラ見たよ。」と言われた。おいおいおい、勘弁してくれよ。決定的な証拠じゃん、写真って。写真週刊誌でスクープされる芸能人の気持ちが、ほんのり分かったと思う。よく分からないけど。その情報がチーム内に出回り、また、球を投げることができない肩の故障の怪我もあり、自分は「なんで野球部にいるんだ?」と疑問に思ったのはこの時期だ。つうか、彼女、プリクラを共有すんなよ。

野球も満足にできず、彼女を作るのも失敗した感じで、チームメイトからの視線は冷たく感じた。この頃だな、高校生活が嫌だなぁって思う時の一つは。その後も、マネージャーの彼女とは部活中に話すんだけど、なにか抵抗があった。「誰かに見られている。」という気配を勝手に感じるのよ、心配性なのだろうか。でも、まだ彼女のことが好きだったんだろうな。

その彼女に新たな恋の刺客が現れた。2個上の、県大会決勝、甲子園まであと一歩というところまで進んだ際のエースピッチャーであった。大学でも野球を続けることが決まり、推薦入試を済ませ、卒業までのシーズン、野球部に混じり、自主トレをしていた。たまにバッティングピッチャーとして、プロ注目クラスのストレートを投げてくれて、チームのレベルアップにも一翼を担ってくれた。そんなモテモテであるだろうエースが、こんな普通な女の子に手を伸ばしますかねぇ。と誰目線なのか分からないが、彼女にロックオンしていた。

その先輩とは、正直に仲が良いわけではなかったため、自分は一定の距離を保ちながら、過ごしていた。大先輩、お手本として、アドバイスを貰えばいいのに、一言も「教えてください。」と言ったことはなかった。とある日の練習で、シート打撃の好成績だった部員は選抜され、このエースピッチャーと、結構なガチ勝負ができるというメニューがあって、何故かその日のシート打撃で好調だった自分は、元エースピッチャーと戦うことができた。バットをいつもより短く持って、ピッチャー返しで息の根を止めようとは考えず、セカンドの頭を越すヒット狙い。そう思って、打席に入ったのだが、新幹線が通過駅を走り去るようなストレートにあっけなく空振り三振をしてしまった。それが唯一の対戦であり、リターンマッチは実現しなかった。

一定の距離を保っていたため、社会人になった今、その先輩からの保険の勧誘はまったく来ない。今はそんな仕事をしているようだ。久しぶりに会ったとあるチームメイトより、嘆きながら聞いた情報だ。人間、いろいろ大変、社会はこれでもかと理不尽である。高校野球はその縮図なのか、どうなのか。

その先輩は、卒業前にいよいよ行動を取った。自分が好きだったマネージャーに告白したのだ。その情報が入った時、既に先輩は高校卒業、大学進学に向けて引っ越し、他県へ行ってしまったのだが、結論としては、先輩は告白して彼女にフラれたらしい。さすが、自分が好きになった女だ、将来性があるかもしれないが、あんな男と一緒になってはいけない、ただ、自分は先輩に勝てるところ、何もないけど。ちなみに、自分が好きだった先輩マネージャーは、更に1年後、自身の卒業間際に、「お前、デートしたんでしょ、好きなの?」と自分に食ってかかってきた先輩からも告白を受けて、こちらもフッたと聞いた。それは、完全にヤリモクだったからだ。その先輩は、今は他県で高校教師、野球部の監督をして、もう既に子どもがいる立派なお父さん。マネージャーを巡る攻防はあったかもしれないが、高校時代、パワプロでいう「阿畑さん」みたいな存在だった。ただ、先輩の武勇伝なのか、中学時代の万引きエピソードはちょっとどうかと思った。バレないように隣町のショッピングセンターに行く話や、金属バットを万引しようとして、ズボンの中に仕込ませ、いざ逃げようとしたら、バットのせいで膝が曲げられず、逃げ切らなかった話。まあ、先輩本人から聞いた話だから、どこまで本当かは藪の中くらいで。

高校1年生が終わる3月、憎き恋敵は去り、また、自分の肩の痛みも癒え、ピッチング再開、またベンチ入りのために頑張るぞ。と意気込んだが、流石に数ヶ月のブランクがあり、自分の球は恐縮ながら高校入学当時の勢いはなくなっていた。あぁあ、野球部、続けよっか、それとも、辞めよっか、どうやってこの球で相手バッターを抑えようか。恋とは別に高校生活のモヤモヤが靄になるくらい目の前に広がったところで、自分は高校2年生になった。なにか、成長できたかといえば、恋の因数分解がちょっとだけ理解できたことかもしれない。

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