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220203【パチンコバイトとだらだら】

パチンコを打ったことも、パチンコホールに入ったこともない、ましてやアルバイトの経験もない18歳の世間知らずの自分が、パチンコホールスタッフのアルバイトを初めて1ヶ月が過ぎた頃には、すっかりアルバイトに慣れ、日々のライフサイクルに溶け込んでいった。ただ、良くないのは、大学生活の、ベタな講義、研究、言葉が幼稚だが“勉強”、そっちのけでアルバイトにハマってしまった。時給は他のアルバイトより高く、先輩が難癖つけてシフトを替えてほしい、という要望に応えて、その分アルバイトに入り、その分給料をもらっていた。

「今日、横浜駅西口の店舗でイベントあるから、確変したら遅番間に合わないから代わりに入ってくれないか。」

パチンカーな先輩の要求に自分は応え続け、サークル活動がある月曜日の放課後以外は、ほぼバイト三昧だった。

アルバイトで稼いで、原チャリでも買おうかと思ったが、ニトリで目に止まった2人用のソファーを買った。パチンコのアルバイトで稼いで、奮発して買ったものといえば、このソファー以外、思い出しても出てこなかった。そのソファーが大きすぎて、自室アパートの玄関でギブアップしそうになったことも覚えている。玄関を開けたら、ソファー以外スペースが無い部屋に、3年半くらい、大学卒業まで住んでいたことも懐かしい。飯を食うのも、プレステ2をするのも、寝るのも、女の子とイチャイチャするのも、そのソファーだったかもしれない。大学卒業する際に引っ越しの手続きを終え、久しぶりに部屋にソファーとその仲間たちなる家具が消えたとき、初めて部屋の広さに気づいたりしたとか。

さて、言葉をポップに、そのパチンコ店のアルバイト仲間は、色々な人が居た。男女問わず大学の同級生はもちろん、先輩、フリーター、他大学の先輩も居たし、専門学校生も居た。専ら20歳から25歳くらいの先輩たちで、18歳の自分はイジられポジションを確立して立ち回っていた。

メンバーの中には可愛い子もいたが、誰も社内恋愛はしてないようだった。面接時、「社内恋愛は禁止です。」と主任に言われたことを思い出す。たぶん、過去にホールスタッフの社内恋愛でなにかトラブルがあったんだろうと勘付く。

年上のフリーターの方は、「お金がない、お金がない。」が口癖だったが、周りにお金を借りるつもりはなく、給料日前は自分の所持品、ゲームカセットを売りながら凌いでいたことをよく見ていた。歌は結構上手いらしく、どこどこのオーディションで良いところまで進んだと聞いた。ただし、そのオーディションの冠名は、聞いたことがない事務所だった。よくバイト終わりに皆で横浜の街で夜な夜な遊んでいたのだが、確かにカラオケは上手かった。お酒も好きで、アテは決まってレバーの串焼きだった。働いていたパチンコ店の近所の串焼き居酒屋のレバーを特に好んでいて、その日の店のレバーが切れるまで食べたと武勇伝混じりに語っていた。自分もその居酒屋に連れていってもらい、確かにレバーは美味かったと思い出す。また、一緒に初バイトをパチンコホールスタッフに挑戦した戦友は、初めて飲んだというワインでゲロリ、トイレから出てこなくなって以降、夜遊びの付き合いからは距離を置いていた。

遅番の勤務、閉店後の処理を済ませ、仕事が終わる24時前から次の日の夕方まで何もすることがない、と言ってしまうと語弊があるが、時間のあるフリーターの先輩が遅番のスタッフを引き連れていて、そこに頻繁にくっついてた。

そこで色々な景色を見させていただいた。地方から横浜に出てきて知り合いもそんなに居ない中、飲み会を通じて、色んな話を聞いたり、色んな人に出会った。

とある勤務後の居酒屋では、ホールスタッフをしていてあまり絡まない景品カウンターのお姉さんの人生を聞いた。高校中退、横浜の歓楽街で夜の仕事をして、結婚して、子供ができて、離婚して。今はパチンコ店の景品カウンターに居る。深夜2時過ぎに、いい塩梅で酒が回ってきてのところでその話。まず、立ち止まって、この時間、子どもはどこで寝ている、誰と過ごしているんだと心配になったが、深く聞かないでおいた。知らないほうが幸せなこともある。社会人になって以降、その傾向は顕著だが、その時、もっと聞いておけばよかったことも多くある。

我を振り返ると、地方から出てきて、3流私立大学生、親からの援助もある自分は幸せ者だなと感じた。いやぁ、勉強なんてせず、バイトした後、朝まで遊んでた、その繰り返しだ、なんて、親には言えないわ。

バイト終わりの飲み会は楽しかった。パチンコホールスタッフ以外の人も集った飲み会、それが自分にとって初めての合コンだったと思う。当時、テレビではお笑い芸人さんが合コンでのテクニックだ、一気飲みコールだ披露する番組があり、そこで仕入れて、アルバイト終わりに試す、というのをやっていた。自己紹介から乾杯のボケ、はじめの質問に合コン用語など、社会人になってからも使えるぞ、という無駄な知識、テクニックの礎は、まさにここだったと思う。ヴィレッジヴァンガードに行けば、一気飲みコール選手権なるDVDがエンドで販促され、合コン用語なる辞典も販売されていた。それを買い漁って、結婚する時に処分するかどうか迷って、今も収納ケースの中で忍んでいる。

また、とある先輩は、ここのパチンコホールスタッフの前にしていたアルバイトがスーパーマーケットの精肉部門だったらしく、そこで一緒に働いたおばちゃんと初エッチをした、というエピソードを聞かされ、自分は反応に困った。「いかがでしたか?」と聞くのも変だし、吉田豪並みのインタビュースキルがあればと後悔した。

パチンコホールに舞台を戻し、働いていると、色んな事が起き、それは自分にも襲いかかった。閉店前に島のエンドにあるジェットカウンターにて、ドル箱を流して計測、玉数が印字されたレシートなり、カードなり、お客様と対応するの。これ、タイミングが悪いと、ずうっとその場で複数のお客様のドル箱を流して、計測を行なう。腰が痛くなるくらいアップダウンを繰り返し、10人以上も列をなすってなんなのよ、ジェットカウンター増やせよ、と思いながらも笑顔で接客していた。とある日、1つのジェットカウンターで渋滞が起き、女性スタッフが対応していたのだが、ドル箱の数が多すぎて、他人のドル箱と混ぜて計測したらしく、インカムで主任にヘルプを求めていた。うわぁ、ドル箱を取られたお客さんはもちろん怒っているし、混ぜられた方もプンプン。

「そのお客さんの、X箱分、保証しようか。」

なんて、インカムも飛ぶ。自分は絶対にそんなことはしないぞと決め、島のランプ対応に逃げた。

ドル箱の混在はしなかったが、自分はアルバイトをして覚えているうち、2回、ホールを銀世界にしたことがあった。まあ、自分の場合、大フィーバーをしているお客様だったから、ちゃんと拾ってくれれば良いよ、くらいではあり、“怒り”に繋がらなかったから、ホッとした。ただ、事務所では、高精度な監視カメラで全体を見ていたオーナーが、珍しくインカムで話してきた。

「ヤグチくん、この後事務所に来るように。」

そのトーンに、変な汗をかいた。絶対に怒られる。絶対にこの人、カタギじゃないし。まあ、あくまで自分の推測ですが。

そんな、パチンコホールのアルバイトを辞めるきっかけの1つは当時付き合っていた彼女からの宣告だった。

「辞めなよ、パチンコのバイトは。」

一般的に見て、あまり良い印象じゃないのかもしれない、パチンコホールのアルバイトって。パチンコのバイトを辞めないと別れる、なんてことは無かったが、彼女のことを考え、パチンコホールから退くことに決めたのである。

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