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210325【久しぶりのベンチ入りとクセのスゴい応援歌】

高校2年生の8月、野球部新チームは練習試合を繰り返しながら秋季大会を目指す。田舎の公立高校の強豪では野球部、いい子にしていたらベンチに入れる。と思ってはみたのもの、やはり「目標は甲子園」なので、ベンチ入り争いが繰り広げられる。2年生と1年生の部員を足して約40人。ベンチに入れるのは20人。自分はピッチャーなので、枠は3つあるとして、エースはもう決まっていて、2番手を目指す。まあ、順当にやっていけば2番手になれるポジションにいるんだけど、下からの突き上げが怖いので、ウダウダしている暇はなく、アピールしなくてはいけないのだ。そんな中、秋季大会地区予選の組み合わせを決める試合が行われ、隣町の高校と試合をすることとなった。正直、野球同好会レベルの相手校に対し、自分は先発ピッチャーを任され、四球は出したものの、5回ノーヒットノーランで抑え、自校はコールド勝ちした。「これくらい抑えて当たり前でしょ。」と思ったが、それきっかけに2番手ピッチャーの座は揺るぎないものになっていった。

また少し日時が過ぎ、夏休みが終わった頃には、秋季大会のベンチ入りメンバーが発表された。ベンチ入り20人の中で、ピッチャーはエースと自分だけ、という2枠になった。監督とキャプテンで人選したと聞いたが、キャプテンは「ピッチャーは3枚」と提示していたようだが、「ダメ、使えないから外す。」として、使えるピッチャー2枚となった。

同期で同じピッチャーをやっていた部員はもう一人いて、その彼だけがベンチ入りできず、日々の練習の中で、ちょっと気まずさが残った。球は決して速くないが、サイドスローでバッターの見にくい角度から左右に散らすボールを投げるピッチャー。彼とは小学校から一緒で、戦友でありライバルでもあった。たぶん、野球だけのキャリアだったら、彼より自分が大きく上を行くと思う。ともにポジションのベースはピッチャーであった。小学校の時、昼休みや放課後の野球では、自分と彼がリーダーになり、ジャンケンで集まった仲間たちをドラフトしてチームを作っていた。それだけ、小学校の野球の中心が自分と彼にあったし、「自分、それだけ野球うまかったのよ。」とアピールも込める。町の少年野球チームでは自分がエース、中学校の野球部でも自分がエースで、野手として、彼は自分の後ろで専ら守っていた。こちらも補足するが、中学校の時、自分は県選抜チームに選ばれ、全国大会も経験しています。

また、彼はベタに言えばイケメン、クラスのヒーロー的なポジションで彼女もいた。高校野球では、その後最後の夏までベンチに入ることは叶わなかったが、応援団長として試合時はチームを先頭で鼓舞していた。高校卒業後は、家族の都合もあり、大学進学はせず、地元の専門学校に進学、その後しっかり地元で消防士になり、専門学校時代に付き合い出した彼女と結婚、二人の子どもに恵まれ、子どもは少年野球をしていると聞いた。立派なパパになり、今はマイホームも建てている。

とても正義感の強い男で、誰も見ていない練習でも手を抜かなかった。また、登板時に打たれたり、納得のいかないピッチングをした際は、電車に乗らず、隣町の自宅まで約20キロ走って帰ったエピソードも聞いたことがある。スゴいよね、青春、野球、しているわぁって思った。

自分なんて、打たれても、「まあ、こんな日もあるか。」って思っちゃう。これからも彼との人間力の差は開きそうだ。次会う時はいつだろうか。高校の野球部の同期でゴルフコンペをやろう、と、スコア110の自分が言い出したは良いものの、何も発展せずすっかり30代になり、社会はコロナに塗れてしまった。いつかやりましょう、その時まで、とりあえず、その地でがんばりましょう。

さて、野球部の応援団長になった彼には、今後も幾つか出演してもらう点はあるかと思うが、先に進む。

秋季大会ベンチ入り20人が決まり、当メンバー中心に大会に向けて練習メニューは構築されていく。シートノックの際、ピッチャーマウンドにはいつも5人6人いたものの、この時期はエースと自分だけ。その分多く守備練習、連携プレイの練習に駆り出されるため、これまた疲れるんだ。体調を整えて大会を迎える、のではなく、結構身体を追い込んでの大会だったと思う。1年ぶりのベンチ入り。ちょっと気合が入ったのもあったけど。

そんな大会を週末に控えた平日、いつものようにロードワークをしていると、左脛に痛みを覚えた。この痛みが筋肉痛でもなく、なんの痛みだろう、痛いんだけど、まあ耐えられる痛み、これ、なんだろうという痛みとその後3週間付き合うことになるとは。ベンチ入りメンバーの登録は済み、ピッチャーは2枚、そんな中監督に「痛いです。」とも言えず、自分は隠しながらこの時期を過ごした。

そして、秋季大会地区大会当日。久しぶりの県内にある一番大きなメインスタジアム。あの日の決勝戦以来だ。あの時は観客だったけど。プロ野球の試合でも使用される球場に、初めてベンチ入りする面々は驚いていた。「ここで野球できるのかぁ。」と感動している部員もいた。そっか、20人中半分以上が初のベンチ入りだもんな、よし、ここはベンチ入りの先輩としてちゃんと指導しないと。どうせ、前々からベンチ入りしている部員は基本レギュラーになっているため、試合に集中している。よく見てみると、過去にベンチ入りを経験している中で、今回も試合に出ず、ベンチで温めている部員は自分一人だった。それだけ、エースの壁が高いのだけど。ならば教えよう、各回自校攻撃前の円陣後のひとときを。

自校攻撃時の気合い入れと、作戦チェックの円陣の後ベンチに戻るのだが、その時ベンチ上の席を見てごらんと。

「ほれ、あれ。」

「なに?」

「ほら、あれ、あれ、あ、あれもだ。」

応援席とグラウンドの高低差があり、球場は随分下の位置に作られていて、そこから見上げるように応援席を覗くと、女子高生のスカートの中がよく見える。という情報を、自分は1年前初めてベンチ入りした際に先輩から教えてもらった。それをちゃんとこの球場の伝統として、継いでいかないと。自分は何か達成感と、「戻ってきたよ。」という感覚になった。それを教えた以降の回で、円陣の声が大きくなるのだから、高校生は単純だ。ファールボールが飛んでくる罰が起きないよう、自分はベンチで一人なむなむとしていた。試合は、エースピッチャーが完投ペースで投げていたため、たまに肩を作るついでに、球場を広く見ようとブルペンに出かける。「監督、俺、いつでも行けますよ。」アピールなんてしない。ましてや、左脛、痛いのよ。

9月の昼下がりはまだ暑い。土曜日だったからか、生徒の応援も多かった。応援席に向かって手を振りたい時もあるが、そこはちゃんと試合に集中していないといけない。そこは最低限、選ばれた20人として振る舞う。

地区大会の試合はレベル差が感じられる試合もあり、2回戦、3回戦と順当に勝ち進んだ。3回戦の途中、大きくリードしたところで、エースピッチャーはお役御免、自分に交代となった。久しぶりの公式戦の登板と、合わせて自分は久しぶりにバッターボックスにも入った。確か、1年前にベンチ入りした際もバッターボックスに入ったが、緊張と集中で、応援歌なんて耳に入ってこなかった。しかし、2年生、最高学年となった時、試合が自校リードの展開もあったせいか、バッターボックスで自分の応援歌が耳に入ってきた。

その歌は、大黒摩季の「あなただけ見つめてる」だった。まだまだ地区大会レベルでは、ブラスバンドの応援団なんてなく、ベンチ入りできなかった部員たちのメガホン越しのシャウトによる応援になるのだが、太い声がバッターボックスの自分に降り掛かってきた。

「エイトだけ見つめてる、出会った日から今でもずっと、エイトが打つのならば、他にないもいらなーい、エイトハイテンション!」

打てるかぁ、と突っ込みたくなる歌詞だが、それも今はここで書かせていただくくらいのネタにしております。しかし、なんで「あなただけ見つめてる」なのか、せっかく選曲してくれた応援団長を責めるわけじゃないが、疑問に感じる、今でも。自分、スラムダンクを通ってこなかったし、バスケットボールがまず苦手だ。校内球技大会で、バスケの上手いやつだけが女子にキャーキャー言われるのが羨ましかった。土曜日深夜のCDTVのライブラリーでしか聞いたことない曲に、自分は高校野球引退の夏まで、付き合うことになった。応援歌だけ先に時間が進むが、高校3年生の春季大会は、倖田來未の「Someday」という曲が、自分のバッターボックス時の応援歌候補に挙がっていたらしい。いやいや、それもおかしいだろと突っ込みたくなる。アゲアゲでポップな曲なら分かるが、歌詞進行が「赤く染まる私の鼻を可愛いと言う、エイトに出会えて本当に嬉しく思う~かっとばせー、エ・イ・ト!」らしい。「これ、違くね。」と思ったのは自分だけじゃないはずだ。顔ごと赤くして言ってやる。

自分の応援歌はともかく、久しぶりのベンチ入りに「ただいま。」という気持ちと球場での慣習をレクチャーし、チームは地区大会を勝ち上がり、ベスト16に進んだ。次の相手は、今となっては甲子園準優勝もしている強豪校だった。左脛は痛いままだった。

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