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220106【初めてのアルバイト】

日本の教育体制・方針に何も口を出せる人間ではないし、「お前誰やねん。」的な我輩ではあるが、どうも、日本の教育は、お金の稼ぎ方を教えてくれないのだ。大学に入って、経営学を専攻でもすれば、少しは学べるかもしれないが、田舎の公立小学校から高校まで過ごしていて、将来どこで使うか分からない数学の方式や、物理の法則等を目の前にして朦朧としていた。自分が通っていた高校は、基本的にはアルバイトは禁止だったため、上京・大学に入って初めてアルバイトを経験した。親がどんな仕事をしているかも曖昧なまま、もっと社会勉強、ビジネスの勉強を幼い頃からしておけばよかったと後悔している。とりあえず、大学に入学して、いつまでも親からの仕送りに頼っていられないと勝手に意気込んで、手に取ったフリーペーパーの求人誌から恐る恐る電話はかけたのは、リニューアルオープンするパチンコ屋さんだった。

まったくギャンブルに興味がなく、もちろん高校時代にパチンコ屋に入ったこともない自分が、周りのアルバイト、飲食店・事務の仕事より時給が高い、だけを理由にアルバイトの面接に申し込んだ。人生最初のバイトって、多くの人が居酒屋だったり、ファミレスだったり、スーパーマーケットやコンビニだったり、工場の梱包やラインの管理、その他にごまんとアルバイトの求人はあるが、パチンコホールスタッフに飛び込む人は少ないんじゃないかと思う。今でも何故、その業界に飛び込んだか、“時給が高い”というところだけを掻い摘んで、誇大だがリスクを背負って、飛び込んだと思う。どうも、求人内容を見比べて他より200-300円時給が高いと、自分のような貧乏学生は反応してしまうのだ。また、「研修もしっかり、仲間と一緒に始められるオープニングスタッフ。」みたいな誘い文句に、18歳の何も社会の厳しさを分からない自分は、乗せられてしまった。また、「友だちもできる!」みたいな、地方から出てきて友人もほぼ居なかった自分には、乗せ文句がクリティカルだった。また、サークル内でその話をしても、「お前大丈夫?」、「気をつけろよ。」ってプラスな反応はなかった。それに対して、「いろいろな社会の場、仕組みを学ぶことに意味があるんだよ。」なんて返せず、「時給が良いんだよ。」の一点張りで押し切った。大学生協、大学の事務のバイトの方が何倍も楽なのは、後々知ることになった。「身体、気をつけろよ。」とまで心配されながらも、どこかで、「まあ、なんとかなるだろう。」と思いながら、パチンコ店内リニューアル工事中の隣にひっそり、冷たくも感じる階段から事務所に入り、面接を受けた。

「アルバイトは初めて?」

「はい、初めてです。」

なんなら、アルバイトの面接も初めてだ。

「珍しいねえ、大変かもしれないけど、良い経験になるよ。」

「はあ、よろしくお願いいたします。」

そんな会話をしたことを思い出す。面接の最後に「何か質問はありますか?」と聞かれた際は、「もし、リニューアルオープン時に働かせていただく際、それまでにしておいた方が良いことはございますか?」と、就職活動の学生のように、やる気を見せ、面接官からポイントを稼ぐような教科書な質問をした。

「一度、パチンコホールを覗いてきなよ。」

と言われた。自分は、パチンコホールには足を伸ばさなかった。

面接の数日後、採用通知と、研修日の案内をいただき、まだまだ工事中のパチンコホールに足を運んだ。この研修期間から時給は発生するとして、研修がスタートした。ここまで、自分一人で果敢に挑戦したのかと思う人も多いかと思うが、実は、大学授業で知り合った同級生とともにバイトの採用に申し込んだのだ。「実は友達でした。」というのは隠し、アルバイト現場にて、「大学1年生で一緒だね、仲良くしよう。」とウラで握っていた。彼もまた、アルバイト初経験のパチンコ未経験の身だった。

研修に挑む、パチンコのホールに入ったことも無い立場で受けた研修は、恥さらしな時間だった。まだパチンコ店がオープンしてないのにも関わらず、こんなにも、お金を稼ぐことが大変なのかと、感じた時間でもあった。発声練習は、ほぼシャウトのような「いらっしゃいませ。」、「お待たせしました。」。自分、滑舌は悪いし、声が世に届かないから、最初から置いてきぼりな立場になってしまった。隣で研修に挑む同級生は、ウマくこなしていて、評価を上げる一方、自分は接客業も未体験の状態で、研修のペースを乱すトラブルメーカーだった。研修には同時間帯、おそらく遅番となるスタッフ10人くらいが集っていたが、他のパチンコ店経験者や、パチンコ・パチスロが趣味です、という生粋のパチンカーも居た。一緒のプログラムをこなしてくれて、恐縮だ。もちろん、自分と同程度の出来損ないも居たが、研修が続く中で来なくなり消えていったのを何人か見てきた。

現場を知らないままオープンに挑むのは怖くなってきて、この頃、初めて横浜駅西口のパチンコ店に入ってみた。数分ほど、良い台を探すかのようにパチンコの島を歩き、鼓膜が慣れていない爆音と、当時は打ちながらタバコを吸うことも可能だったので、いくら換気の設備が整っていてもそれなりに“煙い”ことを肌で感じながら、そそくさと店を出た。その数分だけで、次の研修日の時は、「パチンコホールを経験してきました!」と豪語するバカであった。また、「どの台打った?」と聞かれた際は、「CR海物語をちょいと。」と、一番台数を誇っていたベタな機種を挙げて難を逃れた。「ビギナーズラックは~」みたいな質問は、もう勘弁してほしかった。なんせ、打ってないのだから。

研修が始まったのが6月で、お店・現場の温度感はまだ分からないながらも、基本的な接客からスロット機のコインの詰替え等、クオリティは低いながらも一定のホールでの仕事を体得し、約1ヶ月の研修期間後、7月のとある金曜日、お店はリニューアルオープンとなった。

その日、大学の講義後、サークルの全体会は休み、午前帯からオープンしている店舗に足を運んだ。そこは、お客さんの数からフィーバーをしていて、出玉の数も半端なかった。営業時間の中、店内にて早番と遅番の交代、備品の引き継ぎを行ない、各所担当位置に就いた。リニューアルオープン初日、自分の担当はと言うと、真新しいユニフォームに袖を通したのは良いものの、インカムは付けてもらえず、担当の島、ホールは無く、店頭でひたすら声を上げて来店を促す、「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」のシャウトの繰り返しだった。一緒に研修を受けていた同級生は、しっかりインカムを身に付け、担当の島があった。

ここが、自分自身が経験した、社会の厳しさ、お金を稼ぐことの厳しさを学ぶ原点だったのかと思う。そこからパチンコ店を辞めるまで、エピソードがいくら出てくるのか、それがフィーバーしたように出てくるのか、あまり期待せず、設定も上げず、射幸心も無く、ダラダラと見守ってほしいと思う。

夕方17時くらい、7月の横浜は暑かった。太陽は傾いてはいたが、外は暑く、なるべく自動ドアが空き、ガンガンに効いた店内冷房を感じながら、「いらっしゃいませ。」「ありがとうございました。」という定番の接客用語に、ときより交えた「本日リニューアルオープンいたしました、〇〇をよろしくお願いします。」と指示にもない言葉を商店街に響かせていた。

外に立って、1時間ほど経った頃、ホールの全体統括をしていた主任がやってきた。

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