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210415【疲労骨折と敗戦処理とダンス】

高校2年生の9月、後で気づくことになるが、自分は左脛に疲労骨折を抱えたまま、そのケガを隠しつつ高校野球秋季大会のベンチ入りをしていた。最初は、ただの打撲だと思ったが、デッドボールを受けてことはないし、寝ている間にやられた記憶もない、あるとしたら授業中に寝てしまった時に、誰かにポコンとやられたに違いない。高校の授業中、野球部では寝てはダメ、というルールがあった。というか、何処の部も、部活をやっていない生徒も、授業中は寝てはダメなのだが、どうしても眠いときってあるじゃん、授業中に。つまらない授業だったり、「これは社会人になった時に役に立たないな。」と思う授業だったり。今思うと、社会人になった際に活用できる高校の授業なんて、殆どないかもしれない。シグマ、コサイン、タンジェントなんて、今は使うことはない。出くわすこともない。出くわしたら、「あー、あの時のー!」と言うこともないだろう。間違えた、サイン、コサイン、タンジェントだ。まあ、「シグマ」も使わないけどね。

高校の授業は、いかに先生にバレずに仮眠を取れるか、そこでしのぎを削っていた。ただし、同じクラスの野球部で、規律に厳しい奴がいて、自分が寝ていることをチクる風紀委員なる奴がいた。そいつは、この前の夏合宿時、消灯時間を越えても自分たちがゲラゲラしていた中、一人、ゆっくり睡眠を取っていて、廊下で正座を経験しなかった正義のヒーローだ。全然、正義ではないし、「もっと青春しろよ。」と言いたくなった。まあ、それが青春なのか分からないのだけど。

とりあえず、左脛が今まで経験したことない痛さに襲われながらも、チームは勝ち進み、春のセンバツ甲子園に通ずる秋季大会、自校はベスト16にコマを進めた。ベスト16まで来ると、私立校や甲子園出場の強豪校が出てくる。ベスト16の相手は、ここにも何度も登場している、今となっては甲子園準優勝もしている強豪校だ。対戦校との力の差は明らかに決まっているんだから、少しでも自分たちの野球ができれば良いねというムードで、チームのムードだけはとても良かった。ただし、自分たちの野球をしてしまっては、負けるんだぞ。と自分は思っていた。

試合が行われる球場に着き、控室ロッカーにて前の試合が終わるのを待つ。既にスタメンは発表されていて、自分はもちろんベンチスタート。プレッシャーを感じることなく、自分は地方銀行のCMのマネをして踊っていた。

「かいかいけーつけつ、解決モビット~」

印象的なリズム、歌詞にダンスが交わり、良いCM作品になっているこのスポットを、当時良くテレビで観ていた。観ているうちに覚えてしまった。それを、試合前に踊る自分。自分はフザケているのではなく、少しでもムードが良くなればと。まあ、周りが「お前、あれ踊れよ。」ってウルサイから踊っている。需要と供給よ。この世も、高校野球部の試合前も。それを見ていた監督は、「お前は面白いやつなんだな。」と今頃になってそんなことを言ってきた。違います、監督。自分が面白いんじゃなくて、周りが面白くないんです。

自分は面白いことが好きだ。社会人、ビジネスマンとなった今、仕事において面白いのは、テレビで笑わせてくれるタレント、芸人のネタやリアクション、エピソードトークではなく、「ロジック」だ。これは何処かのビジネス本で読んだ。確かにと思う。瞬発的に出るダジャレや、ウマいことを言ったって、専らサラリーマンのビジネスの舞台においては、会話のブリッジ的なものにしかならない。それでメシが食えるなら、芸能の世界に足を踏み入れてほしい。ただし、自分はロジック力が社会人生活10年以上やっても養われていないため、今日も何処かでウマいことを言う、たとえツッコミをする。それで放浪してきた社会人生活だ。まあ、そんな人もいるんじゃない。とりあえず、笑っていたいのよ。

自分が笑わせる立場になろうとなんて、積極的にはしたくない。誰か面白い人間が近くにいて、自分は笑わせていただければそれでいいのだ。ただし、自分は笑いの感度が、昔からアニメやヒーロー戦隊ではなく、ひたすらバラエティ番組を観ていたせいか、学校、クラス、部活の中で笑わそうとしている奴を見ると、「いやいや、おもろないなぁ、見てろ、こうだよ。」と思っている。お笑い偏差値が高いと思っている。ちょっと生意気。今はそうじゃないけど。でも、高校卒業するまでは、野球は諦めたけど、自分が学校で一番面白い奴だと思っていた。うん、周りが面白くないから、その相対的に見て、の話。

とりあえず、疲労骨折しているのに、キメたダンスでチームを盛り上げ、ベスト8をかけた試合が始まった。

試合は一方的だった。相手校は、規程と違うバットを使っているんじゃないか、相手校の攻撃時のみ“飛ぶボール”を使っているんじゃないか。そう思うくらい、エースは打たれた。点数差は7点差以上をつけられ、この回でコールドゲーム成立です、ということろで、敗戦処理に自分が登板した。アドレナリンなのだろうか、自然と左脛の痛みは感じなかった。へぇ、甲子園常連校相手に投げられるなんて、貴重な経験だわ。いっちょ、やりますか。と意気込む自分。相手校のキャプテンは、昔、同じ県選抜チームの同僚だった。そのキャプテンとも対戦したが、確か、四球で逃げちゃったと思う。まあ、正直に言えばビビっていた。ベンチで見る景色と違う、バッターの威圧感、素振り一回でも音が違う。スウィングスピードだけで風が18.44メートルあるマウンドまで届いてきそうだ。

案の定、敗戦処理は半ばバッティングセンターみたいな感じになり、自分の球は通じず、相手バッターはことごとく打ち返し、野手正面に飛んだ打球でなんとか難を逃れたが、コールドゲーム成立で、大敗した。

「やっぱり、強いよね。」

皆が口々に言っていた。この距離を来年の夏までにどう縮めるか、それが秋季大会敗退後の課題となった。ベンチ入りメンバーの背番号は戻され、また皆が同じスタートラインからレギュラー、ベンチ入りを争うことになった。まず、自分は外科医に行った。ようやく、痛みのカミングアウトができた。もう、予想通りに疲労骨折だった。チームメイトからは、普段練習をサボる身なのに、疲労骨折したため、驚いたようだ。自分の身体が弱いのか、久しぶりのベンチ入りにいつも以上に気合が入ったのか、分からないが、「早く治れよ、2番手はお前なんだから。」と野手陣に言われたりもした。秋季大会が終わってからは、また練習試合として対外試合が毎週末組まれだした。自分は、2週間位は走ることもできず、一人特別メニューだった。その中で監督に指示を受け、取り組んだ練習メニューが今でも頭に残っている。

仰向けになり、天に向かってボールを投げるようにリリースして、そのままキャッチする。全力で投げることなく、ボールの握り、リリースを掴むように、遊び感覚でずうっとグランドで横になり、一人ボールを投げていた。自分の身体の範囲にリリースしたボールが戻ってこないと、いちいち起き上がってはボールを取りに行くのは面倒なので、このメニューをやりだして数日が経つと、サーカスのようにボールを操っていた。また、このときツーシームな握りで、シュートをかけるような投げ方、リリースをよく練習していた。このボールが今後、役に立つとは思わなかった。

3週間ほど経ち、疲労骨折は癒え、全体練習に戻り、週末は群馬県に遠征を控えていた。この群馬遠征が久しぶりの実践、登板になる予定だ。土曜日、日曜日と試合をするのだが、日曜日は甲子園出場経験もあり、自分が好きなノンフィクション作品の舞台にもなった高校だった。

久しぶりに試合に出れる、自分はちょっとワクワクしていた。あのダンスを踊りながら。えっと、あのメニューの名前、なんて言うんだ。

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