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朝、癒しと追い込み。

目覚まし時計がなる前に、自然に瞼が開く時に感じるのは先ずスリル。ストレス無く目が覚めたは良いが今の時刻は?、とヒヤリとする。iPhoneの画面に触れて、3時半前後の時刻が表示されるとホッとする。まだこれからニ度寝しても大丈夫な時刻。二度寝とは言ってもグッスリ眠れるゆとり。魔法のように再び目覚める。まだ目覚ましで起こされたのではない。ついさっき、自然に目覚めたばかりだったはず。この時に経過する瞬間は魔法のようだ。魔法の時間の隙間に落ちる時、とても気持ちが良い。けたたましく目覚まし時計が鳴る。その時によぎることは、隣近所さんへの迷惑になっていないかということと、今は5時半であるということの確信。目覚まし時計は5時半にセットしてある。この音を聞けたということは、寝坊せずに起きられたということだ。安心する。癒しだ。だがいつもこの後、瞬く間に魔法の時間の隙間に落ちるのだ。
ふと6時。再び、ふと7時半。朝の活動が慌ただしく始まり、8時半に家を出る。

寝落ちする瞬間のことははっきりと覚えていないのだが、その時の幸せと安心感と癒し。その一方で、目覚める時のスリル。二度寝に成功したから、次は三度寝。三度寝に成功したから、次は四度寝。そうしてどんどんエスカレートしていく朝時間の圧迫。朝の時間が圧迫されればされるほどに、自分を追い込んでいることになる。眠る気持ちよさと引き換えに、駅までゆっくり歩く心のゆとりは無くなる。小走り、早歩き、信号に左右される歩調。毎朝、通勤時間の落ち着かない気持ちと、明け方の癒しと、どちらも噛み締めながら生活している。

朝からカップにコーヒーを注ぎ、カーテンを開けた明るい部屋で目玉焼きを食べたりして、観葉植物にお水を与えたり、鏡の前でジュエリーやアクセサリーをどれにしようかとあてがってキメ顔をしてみたり、「あ!電気消したかな?」と心配になり部屋に戻って確認してみたり、そんな微笑みが溢れるような穏やかな朝は、追い込みグループに生きる者には訪れない一時である。真の追い込みグループにもなれば、何もかもが違う朝となるのだが、例え話に電気を消し忘れた場合の話をする。

もし、追い込みグループのメンバーが「あ!電気消したかな?」と、出かけ間際或いは出かけてしまってから思い出したとする。まだ玄関のドアの外ぐらいの引き返せるところに居ても、決して振り返らない。引き返さない。出かける。電気を確認せず、付けっ放しで出かける。そもそも、ちゃんと消したかもしれない、と期待しながら出かける。このSDG'sの時代に、電気を消したか確認せずに出かけるなんて、と顰蹙を買うのは仕方がないと心得て。そのリスクを背負って生きている。会社の上司・同僚や待ち合わせの相手が「SDG'sの時代ですから、電気もしっかり無駄遣いせずに過ごさないといけませんからね。30分待つのは仕方ないことです。大丈夫ですよ。」と言ってくれるか? その前に、自分から「遅れてしまい、大変申し訳ありません。SDG'sの時代において家の電気を付けっ放しにして出掛けることが出来ず、戻って確認しておりましたら、電車を一本逃しました。」と言えるのか。言えない。ならば追い込みグループであることをひた隠して生きているからこそ、電気がどうだったかは振り返らず、出かける。ガスの元栓や、コンセントのさし方、ヘアアイロンを置いた台の確認など、火災の原因になるような人様に迷惑をかける心配ごとは振り返って確認する。しかし、電気代が弾む程度なら振り返らずに出かける。一日中「あ〜今月も電気代が嵩む。」ということが仕事や会話の背後に在り続ける。そして帰宅して思うのだ。「明日からは四度寝せずに起きてしまおう。朝はゆっくり過ごそう。」と。

真の追い込みグループメンバーは、「明日からは今日のヒヤリとした行動を改善しよう。ゆとりのある生活・働き方で人生を豊かにしよう。」と思うところまでが、一連の流れ、プレイなのだ。

明日は明日の風が吹くと思っているのか、いないのか。あやふやに暮らしているのだ。

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