やごぬし

考え事のメモ。

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最近の記事

『宙わたる教室』

高校一年生の息子は都内の中高一貫校に通っているが、この学校では朝、読書する時間を設けている。これを朝読と呼ぶ。 図書館で借りりゃあいいじゃねーかと言ったのだが、オモシレーのがねぇとか何とかで、しょっちゅう本を買ってやらねばならない。 新書も知識とか考え方を大雑把に詰め込むのにいいぞ、と勧めるのだが小説しか読まない。 私自身は本をさほどよく読む方でもないし、小説が大好きというわけでもないのだが、もったいないのでついでに読んでいる。 『雪の名前』村山由佳 『トラペジウム』

    • 生きる意味 その1

      生きることに意味などない、というのが私の考えだが、私の欠点は問いを突き詰めないところである。 私が憧れる人というのは、知的にタフな人である。彼らは追及の手を緩めない。体に障害を抱えていようと、精神的に追い詰められようと、簡単に手近な答えで手を打ったりしない。 生きることに意味など無い、という結論は、まさに手近なところで手を打った、というにふさわしいものである。要するに、そういうことにしておけば、万事丸く収まる、というだけに過ぎない。 現実問題として、こうした問いにがっぷり

      • 防災-避難時の服装

        前回はヘルメットについて考えた。 今回は避難時の服装について考えてみる。 ヘルメットと同様、逃げる時に靴を履くのは絶対とされている。 既にスニーカーの類いを家族それぞれの枕元に用意していて、逃げる時に履くことにしている。 さて、服装である。 調べてみるといろんなところでいろんなことを書いている。 ざっと羅列すると、 ・動きやすい長袖長ズボン ・耐熱、防炎性のある素材 ・防水性のある素材 ・乾きやすい素材 ・化学繊維は皮膚に張り付くので避ける どうやら火事も想定してる

        • 防災-ヘルメット

          2024年8月、南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)が出た。 以前から少しずつ防災の準備をしてきていたのだが、これを機に準備を加速している。 色々調べて、一般的に言われている避難用品は8割ほど揃った。 さて、ここで改めて考えると、一口に防災と言っても、さまざまなランクの災害がある。 私は昨年まで崩落危険区域に住んでいたので、台風の時一度小学校へ避難したことがある。 この時は一晩体育館で過ごし、翌朝帰宅した。 このような「念の為」という感じの避難もあれば、避難所にたど

        『宙わたる教室』

          人と虫と

          警察を嫌う人は一定数存在する。 よく聞くのが、ネズミとりの話。 直接聞く話としてはこれが圧倒的に多い。 スピード違反と一時停止違反が多い。 取り締まられた人は一様に警察の悪口を言い、自らの違反を正当化する。 「流れに乗らなければかえって危険だ」 「あんなところで一時停止する必要ない」etc...。 その全てはただの逆ギレで、真っ当な意見を聞いた試しがない。 停止線があったら一時停止するという決まりなんだから、止まるべきであろう。 本当に意味が無いのなら、警察に申し

          東京都知事選挙2024

          2024年七夕の東京都知事選挙、私は石丸伸二氏に一票を投じた。 石丸氏に投票したのは若者を中心とした社会経験の浅い奴らだけ、というコメントを見かけた。雑な過剰一般化ではあるが、こういうことを書かれると、実はちょっと怯む。 わたしは若者ではないが、社会経験は人に比べて浅い方だという自覚があるからだ。 だがやはり、「清濁合わせ飲まなければ政治家は成り立たない」というような意見に両手をあげて賛成するのはためらわれる。それはあきらめを意味しないだろうか。所詮世間というのはそんなも

          東京都知事選挙2024

          『ことり』『猫を抱いて象と泳ぐ』

          本の読み方は人それぞれだろう。 わたしの場合、物語についてはあまり考えずに読むようにしている。 その世界に埋没するようにして読む。 (意図せずとも自然にそうなってしまう本が、わたしにとっての良い本だ。) とにかく、先入観を持たないことだ。 そのためには、作者の名前を見ない方がいいかもしれない。 作品の外側に立たない。 作品と対峙しない。 素直に読む。 違和感は違和感のまま、その正体を探ったりはしない。 膨大な設定が具体的に活かされないとか、直接的に意味を持たないとか、伏線が

          『ことり』『猫を抱いて象と泳ぐ』

          死 その2

          このブログの1本目に、死を怖がる人はなぜ死が怖いのか、ということについて述べてみたのだが、まるで間違っていたようだ。 前回は、私自身は死後一切が無になると信じているから別段死を恐れないが、恐れる側の人々は、死後の世界を信じているから怖くなるのではないか、と結論付けてみたのだが、話は逆で、死んだら無になることが怖いらしい。 そうなってくると、ますますさっぱりわからない。 無になるのだから、怖いもクソもあるか、と思うのだが、まてまて、よく考えてみたら、怖いのは死んだ後の自分

          さきやまそうし

          崎山蒼志をご存知だろうか。 この数年、私が好んでその楽曲を聴いているシンガーソングライターである。 (彼の事をこれから褒めるが、楽曲の中には以下に述べることが全然当てはまらない曲もあることを先に断っておく。その作風の多彩さも彼の魅力のひとつである。) 世の中には彼の作品が苦手な人もまま存在するようで、その気持ちは、実はわからないでもない。 彼の恐ろしくクセの強い歌声を忌避する声はそこここで散見される。 彼は歌が上手いのか、下手なのか。 上手い下手を論ずる場合、様々な切り

          さきやまそうし

          電車内リュック問題

          電車内でのリュックの持ち方について。 リュックを背負ったままなのはアウトだ、というのは一般的な見解である。 前に抱えるのは、もはや常識となっている。 しかし、これに対して、前に抱えても体積は変わらないんだから同じだろ!と言う人がいる。 このことにまつわる多くの記事、議論を読んできたつもりだが、誰もこの問題の正しい結論を言わない。仕方がない。私が言おう。 問題は占有体積ではなくて、荷物が誰かの迷惑になっているということに気づくことができるかどうかである。 背負ったま

          電車内リュック問題

          「称」という漢字

          対称という言葉に、「称」の字が使われるのはなぜだろうか。 「称」という漢字だけを見て想起するのは、「名称」「愛称」「称する」などで、いずれも名前にまつわる意味合いを持つ。 しかし、「対称」という言葉には、名前にまつわる意味合いを見出せない。 ウィクショナリーに非常に簡潔な記述があった。 字源 「稱」の略体、「稱」は「禾」+音符「爯」の会意形声で、「爯」は「爪」+「冉」の会意であり、手で天秤を持つ様を表し、穀物を量ることを意味する。 意義 1. (「秤」に同じ)はかる

          「称」という漢字

          死ぬのは怖いか。 もちろん怖い。何が怖いって、死ぬ前は大抵ものすごく痛かったり苦しかったりするはずで、それが怖い。そしてとても嫌だ。「絶対に死にたくない、嫌だ」と泣き叫んで醜態を晒すだろう。その時にそんな元気があればだが。 タナトフォビアという言葉がある。 死について病的に怖がってしまう人がいるらしい。 この言葉が使われる時、どうも死後に対する恐怖を指すことが多い印象を受ける。あくまで印象である。 日本人は無宗教の割合が高いためにこれに陥ってしまうことが多いという。