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未来を予測できる時代のほうが異常


ビジネス関連の情報を見ていると時々「VUCA(ブーカ)の時代」という言葉が出てくる。現代は「これから先に何が起きるかわからない」「不確実な時代だ」ということで使われている。

ぼくはこの言葉を見ると「今までに、これから先に何が起きるかわかっていた時代なんてあったのか?」と聞きたくなる。

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そもそも、過去は現在から振り返って見た瞬間に、それが必然だったと感じ、原因と結果の因果をつかって説明できてしまう。だから、すべてが予測可能だったかのような錯覚に陥る。
2015年のイスラム国のテロも2004年のイラク戦争開始の時点で予測できた。2020年のウイルス騒動も2003年のSARSウイルスやMERSウイルスを発見した時点で予測できたことだと言えるだろう。バブル崩壊時点で30年後の日本の低迷も予測できたかもしれない。
こうやって、過去を振り返る人は常に「昔の人は未来が予測できて楽だっただろうな」と思ってしまうのだが、それは振り返ったからそう感じるだけで、現在から未来をみたときに「この先の未来に何が起きるか?」はだいたいわからないものである。
予測ができなかったからこそリットン調査団は満州に派遣され、日中戦争は予想以上に長引いた。太平洋戦争が起き、原爆まで投下される。

高度経済成長期も同じである。その時代に生きていた人もそれぞれに苦労していたに違いない。人は常に、大なり小なり、未来になにが起きるかわからない不安に苛まれて生きている。

1960年代あたりは、日本では商店街が賑わいを見せていた。人々は普段の買い物は商店街で済ませ、非日常的な買い物は都心に出て百貫店で買う。しかしスーパーマーケットの登場で街の風景はがらりと変わる。スーパーはさまざまな商品を仕入れることができるため、安売りが可能になる。街の商店はスーパーに対抗する手段がなく軒並み撃沈していく。この時代、商店にとっては不確実な時代だ。その様子は、現代にAIが人の職業を奪っているのと似ている。

昭和後半を振り返り、あのころは会社に入ったらその後定年まで勤めて退職金もらえばよかったんだ、という人もいるかもしれない。しかしそういう「確実な時代」が歴史上ほかにいつあるのか?を教えてほしい。「確実な時代」のほうが異常だと思う。

で、問題は「いまが不確実な時代かどうか?」にあるのではなく、「いまは失敗する余裕があるか?」にあるとぼくは思っている。
「不確実な時代です」といきなり言ってくるのは、時代を正確に分析したいのではなく、他になにか魂胆があるように感じてしまうのだ。

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20世紀の終わりころに、これからは「フリーランスの時代が到来する!」と予見した人がいた。その後、確かにフリーランスは増えたが、「フリーランスの時代だ!」と叫んでそれが当たっていたからといって、それ自体が「良いこと」だとは限らない。

フリーランスが増えることによって、ぼくたちの社会は失敗する余裕がなくなっている。フリーランスとは、傭兵として戦場に駆り出される人のことだ。フリーランスに失敗はありえない。失敗は戦場での死を意味する。フリーランスは、戦場で死んだらそれっきりなので、フリーランスには失敗する余裕がない。フリーランスばかりの社会は、失敗する余裕がない社会なのだ。

だから、自分がフリーランスだということは棚に上げていうと、フリーランス人口が増えることは社会にとっては全然良くないことだ。フリーランスの人々は失敗できないので確実にできることだけをやる。そういう人が多い社会が、新しいことをできるとは到底思えない。傭兵は無力である。時代を切り開く能力としては極めて低い。

不確実な挑戦ができるのは、失敗できる余裕を持った企業だけである。しかし現代日本の企業は、内部留保をため込んでしまっている。利益が出てもそれをどこにも還元せずにとっておいているということだけど、一体何のためにキープしておくかといえば、日本の今後の需要低迷を見越して、外資系企業の買収資金のためだそうだ。

内部留保を従業員の賃金アップに充てれば、国内需要が伸びるような気もするが、企業の経営陣がそれをやらないのは「日本の未来の需要が減ることはすでに予測されている」からである。
そんな予測ができる時点で、「VUCAな時代」はおかしいとも言える。

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未来はほとんどの場合、不確実なのだが、ある程度の予測はたてられる。だからそもそも不確実の度合いを議論しても無意味だと。上にも書いたとおり、不確実性に対応できることよりも、失敗できる余裕のほうが重要だ。いかに余裕を増やし、失敗の回数を増やせるか…は、ぼく個人としても大きな課題に感じている。フリーランスだから失敗ができない、で結論として落ち着いてしまっているのはマズイ。

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