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「アイデアに価値はない」とかいう考え方

「アイデアに価値はない。行動にこそ価値がある」みたいな考えをたまに見聞きすることがある。ここで言う「行動」は「アイデアを実現すること」と言い換えることもできる。
要するに、この考えは、飲み会で「オレならこうするね」的なアイデアを披露しても意味はないと言っている。「ならお前がやれよ」と。

この考えが骨の髄まで浸透してしまったのが平成日本だと思う。そうでなければ、失われた30年はあり得ない。「アイデアに価値はない」と言われ、「実現できるアイデア」だけが実行されるようになる。実現できるアイデアとはなんだろうか?それは、昨日までやってきたことである。昨日までやってきたことなら今日もできる、明日もできる。新しいアイデアを考える時間はない。

そうやって、大量生産時代の思い出を引きずる。作れば売れるはずだ。作ったものの売れ行きが悪いならもっとたくさん作ろう。いっぱい種類を出そう。新しいやり方はわからない。覚えない。そうしているうちにアメリカのアイデアは日本に浸透し、行動力では中国に負けた。

なにかの本に、「日本のメーカーは採用する人材を間違えていたのではないか」と書かれていた。既存のシステムの中でうまく立ち振る舞う人だけが重宝され、変えようとする人は相手にされない。
「君ね、アイデアがあるなら実現しなさい。実現できないアイデアに価値はないよ?」「ですから協力してください」「協力?嫌だよ。私を巻き込まないでくれ」

こうやってアイデアは萎んでいく。昨日までのやり方が持続していく。日本の街並みを見るとそれが良くわかる。いつまでもスクラップ&ビルドの精神で突き進んでいるからだ。もしくはショッピングモール。日本は「どこに行っても同じ街並みが続く」とは、英語教材の例文に書いてあったことだが、その通りである。アイデアを考えられる人が不在で、「これをやっとくのが正解!」という低レベルのアイデアに群がる。
アイデアを精査する目もなく、「昨日までのやり方でできること」が最優先されるのだから無理もない。「実現してこそ価値があるのだよ」という言葉は、権力者や既得権益層に有利に働く。権力とは実行力のことなんだから。

ここまでは社会の話だけど、個人のレベルに落としても「アイデアに価値はない」とか言ってるのはレベル低い。怠け者のアマチュアには響く言葉なので、アマチュア相手の商売に有効に使われる。アマチュアとは行動力のない人々のことを指す。もしくは日々の生活で時間がない人々。平日5日間働いて、土日だけ草野球をやってる人に「お前な、もっと素振りしないとダメ。毎日素振りしろ」とアドバイスする。草野球レベルの人にとっては「たしかに!毎日やります」となるだろう。しかしプロ野球選手にそんな助言をするだろうか?毎日練習しているプロに?

毎日の練習は当たり前。その中で抜きん出るには何が必要か?がプロは問われている。
スポーツのような肉体が関係するものは、そもそもの身体が大きな差を生みやすいが、それ以外の知的労働に関しては、アイデアが差を生むと思っている。

ぼくにアイデアはないが、アイデアを考えられる人を尊敬している。アイデアのある人を尊敬できないからこそ、「日本はこうなった(つまり失われた)」と、ぼくはずっと、平成も令和も関係なく、思い続けている。日本では戦前も戦中も、ずっとアイデアは軽視され、ただ実行力で突き進んで負けた。

(追記)
アイデアは机の前で考えてるだけでは深まらない。「アイデアと行動、どちらが大事か?」みたいな問いの立て方がそもそも間違ってはいる。行動するとアイデアが深まるが、アイデアを深めようとしたり、新しいものを探そうとする意識がないままの行動は、昨日と同じところをグルグル回るだけのものになる。

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