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親愛なるレニー 吉原真里 アルテスパブリッシング

予備知識は皆無。どんな巨匠なのか、何も知らないまま読み始めてしまった。
でも、それが却って良かったのかもしれない。
音楽と人間をこよなく愛し、人を愛することと音楽を愛することは私にとって同じことだと言ってのける台詞を読みながら、彼の創る音楽を想像することができたから。

技術的な巧さや凄さだけではない、人間的な魅力を兼ね備えた人。そしてそれを音楽で表現できる人だったのだろう。そんなレナード・バーンスタインという一人の人間を愛した二人の人の、人生の記録。そういう本だと思う。

レナード・バーンスタインという人を評するような論文ではない。いたずらにセンセーショナルに、ドラマティックにしたりするような読み物でもない。「レニー」へ手紙を書いた二人の日本人の、その人間性や、口幅ったいことを言えば成長の軌跡のようなものに著者が感動して、それを伝えたい!という強い情熱を持っているのが伝わってくるような内容だった。音楽評論なんかじゃない、そこがとても良かった。

特に、若い頃のクニの、よりストレートな手紙は心を打つものが多い。身を焦がすような恋の切なさは、誰もが一度や二度は味わったことがあるだろうけれど、そういう気持ちが思わず甦ってきそうな臨場感あふれる言葉の数々。そのまま作品として通用しそうなほどの表現力に感嘆した。

大抵はみんな、そういう気持ちと折り合いをつけてオトナになって、たまに取り出して眺める卒業アルバムのように普段は目に触れない程度のところに仕舞って、セピア色になっていくのを感じながら年を重ねて、、、やがて思い出の一部にしてしまうのだろうけれど。

到底、そんな片付け方はできないほど強く、深く関係を築くことができてしまった彼らはある意味、とても幸せな、選ばれた人たちだったのかもしれない。たとえ、感じた幸せの分だけ、もしかしたらそれより少し多いくらいの辛さや、寂しさや苦しみや、切なさに耐えなければならなかったとしても。

手紙の内容から書き手の気持ちを慮るような、やや遠慮がちなトーンも窺える前半から、次第に後半へ進むにつれて、二人の手紙の内容と共にこの本の筆致も変わってくる。どんどん引き込まれてしまって、頁をめくる手を止められなくなってしまった。

物理的に近い距離に居ること、隣で一緒に時間を過ごすことだけが愛ではない。二人はおそらくそういう結論にたどり着いて、それを実践したのだろう。
レニーの見つめる、その同じものを見、感じて応援しようという立場に立った二人の存在は、レニーにとっても何より嬉しく、心強く、幸せなことだったはず。

やがて二人はそれぞれの歩む道を見出し、しっかりと自立して活躍するようになる。時を経てさまざまなことが変わり、年齢を重ねても、変わらず強くレニーへの愛情を持ち続ける二人の生きざまはとてもカッコいい。

「愛を見つけなさい」
レニーがクニにそう言ったらしい記述が出てくる。そういえばラングストン・ヒューズの詩にも似たことを言ったものがあったっけ。

クニの返事はこうだった。
「僕は幸せです。なぜならあなたを愛しているから」

世間一般に通用する「フツー」の幸せの形から外れてもなお、それが自分の幸せなんだと自覚し、それに伴う苦しみをも併せのんで愛し抜くことができる人はそういない。そういう愛のカタチもあることを体現するのは、口で言うほどたやすいことではなかったはずだし、実際、本当はもっと波乱の時代もあったのだろうと感じるシーンもある。でも結果的には彼らは、その出逢いからレニーがこの世を去るまで支え続け、そしておそらく今に至るまでも愛し続けているのだということが分かる。

この本の終盤、著者がこの手紙の束と出会った経緯や、二人とのやりとりが紹介されている箇所がある。
若い頃とはいえ、かつての自分が書いたプライベートな手紙の内容を公開されることへの葛藤があったことも率直に記されていた。まさに、著者の真摯な、伝えたいという情熱があったからこそ実現した内容だということが分かる。

「愛そうとする意思を持ちたい」というレニーの台詞が出てくる。そういう人だったからこんなに愛されたのだろう、と思う。
愛のある音楽には、説得力がある。
たぶん、文章も。
絵でも、彫刻でも、きっと。
人の心を打つものには、たぶんそういう共通点がある。

愛にあふれたレニーを愛した二人の、そのありように魅せられた筆者だからこそ実現した愛のある1冊。

素敵な人生哲学が、たくさん詰まっていた。

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