江戸の草双紙と漫画文化

 このレポートでは江戸の草双紙、中でも江戸中期に出版された黄表紙『金々先生栄花夢』について論じたい。
 江戸中期は田沼意次が老中となり寛政の改革による文化の取り締まりがされる以前の江戸戯作の最盛期の頃である。本作は安永4(1775)年に江戸の書肆・鱗形屋孫兵衛から出版された黄表紙である。作者の恋川春町は倉橋格の武士で俳諧や狂歌を嗜み、草双紙の執筆活動を行っていた。従来の青本にはなかった風俗描写や社会風刺などを含んだ『金々先生栄花夢』の登場は当時の草双紙の内容が一変した第一級の文芸作品と評されている。
 では、本作が一級の作品とされる理由とはなんであったのだろうか。まず、これまでの草双紙とは一線を画していた内容が挙げられるだろう。本作は中国の故事「一炊の夢」の謡曲「邯鄲」を下敷きにしている。粗筋は片田舎の金村屋金兵衛が、浮世の楽しみを極めるために目黒不動に参詣し、名物の粟餅屋で栗餅を待つ間にまどろみ、夢の中で商人の家督を継ぎ何不自由ない身となって「金々先生」と呼ばれ、吉原で遊び尽くして金を失い、養父に追い出されるが、杵の音に驚き目を覚ますという夢落ちものである。
 これまでの草双紙、特に赤本・黒本は御伽話もの、英雄一代記、滑稽もの、浄瑠璃や歌舞伎を題材にしたものなど、子どもも楽しめる親しみやすい内容が主流であった。江戸中期以降になると黒本と同時期に制作された青本で、大人向けの作品が出版され始める。その先駆けとされたのが、古典をベースにしながら吉原の風俗を描写した『金々先生栄花夢』であった。
 体裁は青本と変わりがないが、文芸史上重要な作品であるため通常の青本と区別し「黄表紙」と呼ばれ、世相を写実的に描写し、風刺する作風を特徴とした。また、「金々先生」とは、しゃれてすきのない姿や気取った態度を表現する「きんきん」の擬人化である。吉原に通い金の力で遊び歩き「通」ぶる様を暗に嘲笑しているのだろう。 そして、写実的な挿絵表現もこれまでの草双紙を超越したとえいる。草双紙の挿絵を描く絵師には鳥居派がいたが、『金々先生栄花夢』には鳥居派の絵師とは趣が異なる構図や描写が見られる。黄表紙以前の挿絵は文章と共に鑑賞する特徴を活かした「平面的」な画面構成が主流であった。しかし、本作の養家で父子の杯を交わす場面の挿絵では、従来の草双紙にない遠近法を用いて邸宅の豪華さを表現している。  このように、『金々先生栄花夢』はその内容と挿絵様式において現代の漫画のような読み物であったのである。こうした作風は平行して制作されていた「洒落本」でも同じように書かれており、明和7(1770)年に刊行された『辰巳之園』とも内容が似通っている。おそらく作者は遊里文学からも影響を受けていたのだろう。作者の高い学識や教養によって書かれた本作が一級の文芸作品にふさわしい風格を備えているのもうなずける。

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