TOOLs and WEAPONs 第3章 テクノロジーとプライバシー

ベルリンの現地チームから参加していたディルク・ボルネマンとタンヤ・ベームはベルリンの北東部にある元刑務所に寄りたいと言った。

この寄り道がその年最も記憶に残る経験になるとは思いもしなかった。

ドイツ民主共和国、つまり旧東ドイツのホーエンシェーンハウゼン刑務所跡である。

かつて最高機密だったこの軍事複合施設は、秘密警察・諜報機関だったシュタージ(国家保安省)本部の一部として使われていた。

元刑務所の門が開き、コンクリートの監視塔を通り過ぎたところで、ハンス=ヨッヘン・シャイダーという75歳になる元囚人が迎えてくれた。

今日、世界の政治的な積極行動主義の大半は、シャイダーの時代とは違って、街中から始まるのではなく、インターネット上で始まる。

テクノロジー企業は、膨大な量の個人データを預かる管理人として、ナチスやシュタージに苦しめられた人々並みにデータが悪の手に渡るリスクを十分に意識しておく必要がある。

他国の文化に適応しつつも、その国の人々のプライバシーを尊重・保護し、マイクロソフトの基本的価値観を守り抜かなければならないのだ。

アメリカのテクノロジー企業にとって第二の故郷のような存在となっていくアイルランドへの大規模投資に踏み切った最初のテクノロジー企業がマイクロソフトだ。

誘致活動の派遣団に、ロナルド・ロングという高官が名を連ねていた。

今やアイルランドは、データセンター運用で世界屈指の立地となった。

優遇税制のおかげもあるが、気候がはるかに重要な理由となっている。

気候以上に重要なのが、アイルランドの政治情勢である。


米英戦争後、犯罪者の引き渡しや他国にある情報の入手を規定する新しい分野の国際条約が誕生した。

この新しい条約の多くは、刑事共助条約(MLAT)と呼ばれている。


マイクロソフトが勝手に勝手にアメリカからデータを持ち出してブラジルの警察に提供すれば、アメリカの法律で犯罪になると説明し、両国間のMLATの手続きを踏んでもらいたいと伝えた。


私は世界各地で公の場に顔を出すたびに、裁判をあきらめず、必要なら最高裁まで戦い抜くと繰り返し誓った。

2015年3月、チャンスが転がり込んできた。私が出席したホワイトハウスでの会合がきっかけで、プライバシーと監視の問題に関する見直しの機運が高まったのだ。

それから11カ月後の2016年2月、イギリスとアメリカが今の時代に即した二国間データ共有協定の草案をひっそりと発表した。

法案審議は手詰まり状態で、大幅な妥協なしに法案成立は楽観視できない状況だった。

結果的には連邦最高裁自体がこの行き詰まりを打開したが、これが思いも寄らない方法だった。

そこで9人の判事を前に、グローバルな視点から見たクラウドコンピューティングの意味を説明することになっていた。

威風堂々たる四階建ての連邦最高裁ビルは、連邦議会議事堂の真向かいにあり、アメリカの司法府と立法府が文字どおり対峙している。

4年前、大西洋を挟んでアイルランドからメールのデータを持ってくることを拒んだために始まった裁判で、ついに最後の対決を迎える日がやってきた。

世界最新のテクノロジーが生み出した問題をめぐる裁判ではあるが、その裁き方は1世紀近く前と変わらない。

この日の朝、1時間の口頭弁論の後、9人の判事の反応を見る限り、原告・被告ともに思っていたほどの好感触は得られなかった。

連邦最高裁の弁論後、すぐに新たな法案が提出され、当事者がそろって支持することに同意した。これが後に「海外データ合法的使用明確化法」で、英語の頭文字を取ってCLOUD法(以下、クラウド法)案と呼ばれることになる。

司法省の求めていたとおり、捜索令状の対象範囲を外国にまで広げる一方、令状を受け取ったテクノロジー企業は、これが相手国の法律と衝突する場合には捜索令状の無効を裁判で争うことを認めるという、双方に配慮した内容になっていた。

実際問題として法案可決の見込みがあるとすれば、クラウド法案を予算案(歳出法案)に組み込む方法しかなかったが、そう簡単にはいかない。


2018年3月23日、ドナルド・トランプ大統領がクラウド法案を含む包括予算案に署名し、ついにクラウド法が成立した。

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