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片付けの模索とお出かけと思考

 朝はちょっとだけ物を片付けて、午後は思いっきり歩きます。

 最近、梅雨入りして雨ばかりでしたが、今日は降られることもなく快適なお買い物日和でした。

時間をかけた荷ほどき

 午前中は物の整理をしていました。今の部屋には3月に引っ越してきました。

 中身を、段ボールから粗方出し終わったので、今は置き方を模索中です。

 収納ボックスから中身を入れ替えたり、ボックスごと場所を移動させたりしていました。

 ありがたいことに、人からはきっちりしているとか、綺麗好きという評価をもらっている私ですが、実は整理整頓とかお片付けが苦手です。

 使ったものを出しっぱにして散らかしてしまうなんてよくありますし、埃が溜まってても気になりません。私はそういうヤツです。

 なので今も引っ越しのに片付けに四苦八苦しています。

 収納ボックスの中にはゴミが混じっているし、部屋の隅には解体された段ボールが束になっています。

 レシートに至っては持ち運びができるので、よくデイケアで家計簿をつけています。

 たぶん、母が見たらそんなプライベートなものを外でやるなって叱られちゃうかもしれません。

 我ながら荷ほどきにいつまでかかっているんだと思っています。

 デイケアの職員さんに、家で暇するくらいならデイケアに参加したほうがいいと言われたときは、思わず視線を逸らしちゃいました。

 全く暇になる未来が見えないです。

 むしろ、荷ほどきばかりだと辛いから、それ以外のことをする余裕を作っているというほうが正しいかもしれません。

 でも、時間がかかったとしても最初が肝心なんですよ。

 整理整頓や収納が苦手だからこそ、引っ越ししたときの片付け方が後々にまで尾を引くんです。

 私の場合、片付けにくい収納や掃除しにくい置き方をすると、汚部屋まっしぐらになってしまいます。経験済みです。

 だから面倒でも、時間がかかってもきちんとしないといけません。今日もできる範囲で頑張りました。

運動がてらお買い物

 今日はなんだか変な気分でした。ダラダラしたい私と、動きたい私が喧嘩しているような感じです。

 たぶん脳疲労を起こしかけているのかもしれません。「たぶん」とか「かもしれません」なのは、私が自己観察や自己洞察などが苦手だからです。

 以前に比べたら、「たぶん」や「かもしれません」でも、わかるようになってきたんですけどね。

 昨日、精神科の診察でプンスカしていたので、そのせいかもしれないです。

 日記にも、冷静に反省だけを書こうとしたのに感情が出てしまいました。

 文字や言葉にすると、あやふやだった感情の輪郭がはっきりして強まってしまうのが難しいです。

 私の場合、感情は衝動性のコントロールよりも、向き合うことのほうが大変なんですよね。

 お買い物は、収納雑貨を求めてダイソーに行ってきました。

 しかし、いつも行っているダイソーには、シャッターが閉じていました。お休みだったようです。

 なので一度家に戻った後、反対側にあるダイソーへ行ってみました。

 ここは、いつものところよりちょっと遠くにあります。だから今まで行く機会がなかったんですよね。

 いつものダイソーは、ショッピングモールの中にあって、品揃えも人も多いところでした。

 今日、初めての場所はスーパーの2階の一角にあって程よく空いています。

 品揃えは買い時を選びますが、落ち着いてお買い物ができるところが気に入りました。たぶん、また来ます。

 収納雑貨を漁っていると、カラーボックス対応のフタ付きカゴを見つけました。

 布でできているので、使わないときには折り畳んでしまえるようです。

収納のメインに利用している「スクエア収納BOX」は、A4サイズのファイルが入りません。

 どうしようかなと思っていたので、ついあるだけ買ってしまいました。買い過ぎた気もしますが、今回は良しとします。

 いいお買い物ができたと、家路に着きました。

 明日はまた、お片付けですね。頑張ります。

内向と外向

 私は人付き合いに積極的ではないので、内向型に見られがちなんですけど、おそらく外向型ではないかと考えています。

 この外向と内向はMBTIの指向のことです。MBTIは持って生まれた特質というか、得意不得意を知るのに優れた性格検査なんですよ。

 外向型だと思った理由は、内向型の話に一切共感できなかったからです。

 MBTIを知ったのは、去年、沖縄で利用させてもらった生活訓練でした。そこでは自己理解ワークというプログラムがあったんです。

 それを知った私は、そこに電話して利用できるか相談しました。

 当時、MBTIを教えてくれた職員さんは内向型の人らしく、私が言葉に詰まって考えているとよく、

「わかるよ。今、頭の中にいっぱい言葉があって、どう言っていいか悩んでいるんだよね」

と訳知り顔で言ってくるんです。それに対して私は、毎度のように「何言ってんだコイツ」と思っていたんですよね。

 言葉は悪いですけど、職員さんの気遣いが的外れだったんです。私は言葉そのものがないから詰まりました。

 正しい言葉がわからなくて、詰まったわけではありません。

 それなら、クッション言葉や前置きなど相手に知らせた上で、頭の中にある言葉をそのまま言えばいいんです。私の場合はそれで解決しました。

 でも、これが内向型の思考だと気づいたとき、私は内向型じゃない可能性が高まりました。

 自分は言葉の正しさで悩んだことがないな、と。だから、思ったままを言って周囲を困らせちゃうんですけどね。

 クッション言葉を知ったときは、「なんて便利な言葉があるんだ」って感動しましたよ。

 ちなみに英語の主語Iを軸に物事を見るのが内向型です。そのため自省を得意とする傾向があります。

 読書でたとえると、登場人物たちを自分と重ねては、「私なら」とか「私と同じ」と思考します。

 逆に外向型は、I以外で物事を見るので、人間観察が得意だったりします。

 いわゆる外向型のコミュニケーション力の高さは、主語を相手に置くからこその理解力だったりします。

 読書でたとえると、登場人物と自分を切り離して、彼らの思考の傾向を見たり、行動を予測したりします。

 内向と外向は表裏一体のため、片方が得意な一方でもう片方は苦手です。

 だから自己理解が得意な人はだいたい他者理解が苦手だし、他者理解が得意な人は自己理解が苦手なんですよ。

 たまに、どちらも自由自在に使い分けている仙人もいるらしいですが私は見たことないです。

 ただ、能力の総和には個人差があります。私は外向型の可能性が高いですが、コミュニケーション能力は高くありません。

 しかし、それ以上に自己理解が底辺を這っているというひどい有様でした。

 たとえばコロナのワクチン接種をしたとき、私も例にもれず38度を超えました。

 しかし解熱剤も飲まずに通常とほとんど変わりなく過ごしていました。

 休める状態ではなかったというのもあるんですけど、これは自慢じゃありません。

 この鈍さのおかげで、私はとても苦労しています。不調が重症化して、にっちもさっちもいかなくなるケースが多いんです。

 ついでに、現在の精神科通いの一番の原因がこれなんですよ。

 もともと体が繊細だったというのもあるんですけど、その繊細さに気づかなかったツケが定期的なうつ症状です。

 今、必死で自己理解を身につけている最中なんですよね。noteを利用しているのも、そのためです。

 外を歩いているとき、前触れもなく思い出しました。生活訓練の職員さんの子どもが外向型だという話です。

 その子は、「わたし(I)」ではなく、いつも「わたしたち(We)」という言葉を好んで使っているんだとか。

 なるほど、Iの思考が苦手な私はやっぱり外向型だわ、と確信を強めたのでした。

 ただ、私は「わたしたち(We)」ではなく、「あなた(You)」が多いです。たぶん。

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