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昔のが硬いイメージがある。

日に日に油断して乗る電車が1本ずつ遅くなっている。
遅くなるにつれて電車が混む。鮨詰めだった。
鮨詰めって、寿司詰めだと思ってたけど鮨詰めなんだ。縁起はぜんぜん良くないものね。
折り箱などに詰める時、崩れないように隙間なくびっしりと並べることに由来するらしい。
最近はその状態のお寿司見ていない。

会社にナショナルの電動鉛筆削りがあった。
こないだ、同じものを中野の公民館で見て、意外なところでナショナル製品まだ生きてるんだなと思ったけど、まさか全く同じものが会社にもあるとは。
確かに鉛筆削りって電動でもそうじゃなくてもなかなか壊れない。切れ味は悪くなるかもだけど。
八木野家にも6つ上の姉が小学生の頃から使っていた鉛筆削りを甥っ子が使っている。
手動のクルクル回す鉛筆削りのが、金曜ロードショーの映写機を回してる人に憧れていたので昔から好き。
最後に残るナショナル製品は鉛筆削りかもしれない。

家で夕食を取っている時大河ドラマの水戸黄門がテレビでついていた。
水戸黄門で話されている言葉は、昔のもので今とは言葉の硬さがちがう。
昔のが硬いイメージがある。
どうやって今の言葉の柔らかさに落ち着いて、そもそもなんで昔の話し言葉が廃れて今の話し言葉の形になったのだろう。
1番水戸黄門様の言葉が柔らかい気もして、やっぱり昔の偉い人が言葉のトレンドを作っていたのかな。
今の言葉のトレンドや話し言葉もどこから生まれているのか、実は誰もわかってないのかもしれない。

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