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おっさん 転がり込んで転がって

中年男性は変化しない。

世の物語の主人公は思春期から30代。
本棚にある小説やまんがを眺め、そして今まで見た映画を思い出す。中年男性が主人公になるものは少ない。あったとしても彼らは薄らぼんやりしている。そう、中年男性は物語にならないのだ。

物語とは、主人公が何かをきっかけに選び、変化をする。
変化出来なくても、もがく。呆然とする。

中年男性は選択しないし変化しない。変化できなくても、もがかないし、呆然ともしない。その場にいるだけだ。

一概には言えないが、中年であっても女性は自分の魅力に日々磨きをかけ続ける人が多い。化粧、服装。好奇心は男性より遥かに持続する。女性同士の頻繫なコミュニケーション。

中年女性の物語として時折見かけるのが、自分を今まで縛り付けていた枠から出る。もがき、己を覆う網から出ようと試みる。その姿は見るものを感動させる。そしてその「枠」や「網」は中年男性だったりする。
中年男性は下手をすれば誰かを縛り付ける。

日々の選択も極力しない、着るものはいつも同じ。くたびれたおっさん。映画やドラマの中でおっさんが何かしでかすことはあっても、その物語を通じて何かを選択し変化することはない。人生における転機はとっくに過ぎた。かくしておっさんは家でゴロンと転がるトドになる。

物語は生まれない。

おっさんである私の個人的な話。
学生時代に出会った妻と息子の3人暮らし。日々勤務先への往復。悪くない。それなりの仕事を任されている。ただ、日々充実しているかと言えば、そこまでではない。この年で充実をもとめて転職などすると、県3~4番目の地方都市ではとんでもないことになる。人生が破綻する。今の仕事を粛々とこなす。何も選ばない、変化もない。凡庸な美しい日々。

新型コロナが世界を覆う。自宅にいる時間が増えるというよりも、自宅しかいない。時間は有り余る。
ネットを見ると定額給付金10万円を差し出し、自腹で文章のコンテストを行う方がいる。賞金は10万円。太っ腹な姐さんだ。お題はおもしろい文章。
おもしろい文章。こんな簡単なもの、俺にはいくらでもあるぞ。

10万円、取れる。

この金額ならば家族3人で旅行ができる。いや、旅行はこのご時世厳しいか。フランス料理を個室で。和食でもいい。それでも余るな。冬にはコロナも収まっているだろうから家族で行く冬のスキー旅行の資金にするか。結構いいホテルに泊まれるな。そんなことより後ろのフェンダーが凹んだままの車を直すことにしようか。

noteというものに書くのか。noteってなんだ?ああ、よく検索で引っかかるあれか。noteは個人でも使えるのか。そうか。

10万円につられ、生まれて初めて自発的に文章を書き始める。今まで日記も書いたことがない。ここ最近の文章といえば社内稟議書、購買プロセス、購買メモ、社内ユーザー向けpc取説、サーバ、アプリケーション等の使用説明、メール。

ここ何年で初めてやること、あっただろうか。

何を書こう。新卒で入った会社を辞めて、金に困った時にバイトしたコンビニの話にしよう。辛い事もあったけど、おもしろいことだけ書けばいいだろう、お題はおもしろい文章なのだから。

気がついたら夢中になって書いていた。5,000字書き上げていた。それから10回を超える推敲。topの画像で迷う。コンビニの話だけどそこに置かれる雑誌の話だからそのようなものを探す。noteにはない。自分で撮ろう。通勤路にあるコンビニ。店員さんに声を掛ける。「すみません、この辺の写真撮ってもよろしいでしょうか、エッセイに使おうかと」。noteの改行上手く行かない。上手くまとめられない。夜中1時過ぎまでかかる。翌日は大変しんどい。眠気が襲う。しかしよくわからない高揚感。下書きにupしてから何回か読み直す。タグの付け方がわからない。何故か最後の3行を消してしまう。慌てるからctrl+zをミスる。お茶をテーブルにこぼす。夜中11時過ぎに投稿。

投稿してすぐさまに「スキ!」が着く。小躍りとはまさにこの事。再度お茶をひっくり返す。スキ!を付けた方を辿る。緊張しながらスキ!を付けた方のページに飛ぶ。

情報商材屋さん。

しかし、初めてスキ!を付けてくれたその情報商材屋さんのページを眺め続ける。初めてスキ!を付けてくれた。

翌朝、そのスキ!は消えていた。ブラウザの履歴からその情報商材屋さんのページに行く。top画像が差し替わり名前も変わっていた。それからしばらくスキ!はつかなかった。

誰からも見向きもされなかった。
おっさんの高揚感は恥ずかしい。いい年して。

それでもその後、3つぐらいのスキ!が付く。手を合わせて拝む。
ありがとう。心の底から拝む。3つのスキ!全て情報商材屋さんだが。

今までsnsでいいね!などの数など気にしたことなかった。この人、見に来てくれたんだ、それぐらいだ。それがnoteでは「スキ!」の数、気になる。頭がおかしくなるほど気になる。

他の方のnoteを見に行く。たくさんの「スキ!」がついている。すごいnoteだらけだ。悟る。甘かった。事前調査もせずいい年して浮足立った。恥ずかしい。僕のnoteにスキ!をつけてくれるのは情報商材屋さんだけだ。

2本目は惰性。それでもいくつかスキ!が付く。情報商材屋さんだ。手ごたえはまるでない。
大海に拙い文を放り込み、消えた。

その頃にコンテストの発表があった。主催者の方がエントリーされたnoteにスキ!を付けるとその方が読んだ、というしるしらしい。それさえも付かない。当然の事ながら結果にはかすりもしなかった。

そしてスキ!をつけてくれるのは情報商材屋さんだけ。この状況でオッサンがnoteを続ける意欲を持つのは至難の業だろう。誰も見てくれないnote。ここでやめても誰にも何も言われない。
まあ、こんなものだ。

それでも通勤の車の中で書きたいことが浮かぶ。しかし、書いたところで読む人はいないだろう。意味などあるのだろうか。ない。ただ、その書きたいことは大事な思い出だから自分のために書こう。自分のために。

3本目。書き上げ、投稿する。
今回は情報商材屋さんからの「スキ!」さえもない。なので「スキ!」がないままだ。

一日経ち、「スキ!」がついた。情報商材屋さんではない。その方のページに行くも、まだ何の投稿もない。そしてその方がフォローしている方が一人いる。一人。誰をフォローしているのか見に行く。

僕だ。

僕をフォローしている。ありがたい。両手で拝む。
頭を何かが蹴飛ばす。その名前。見覚えがある。

妻だ。妻が学生の時に使っていたあだ名のようなもの。
妻が読んでくれて、スキ!をつけてくれた。

深夜、独り。リビングから妻と息子が寝ている部屋の方向を見る。

3~4日したころだろうか。noteを開くとスキ!の数が少し増えている。情報商材屋さんではない。血の通ったアカウントだ。つけてくれた方一人一人に拝む。

そのすぐあとnoteから通知が来ている。編集部おすすめに入ったとのこと。なんだか良くわからない。おすすめってなんだ?ともかくスキ!が増えている。増えているどころではない。爆増。一人一人に拝む。

もう1本、書こうか。

4本目。最初にスキ!をつけてくれたのは、やはり、妻と思われるアカウントだった。

後日、3本目がnote公式コンテスト入賞、4本目がnote公式コンテスト準グランプリ、そして私的コンテストの芽生え賞という新人賞的なものを頂く。
今でもスキ!をつけてくれた人には全て拝んでいる。

今では妻が最初の読者であり、編集であり、編集長である。

4本目を書き上げ、何日かした。勤務先からの帰り道。雨の中車を走らせる。ワイパーをゆっくり動かす程度の雨。
信号で止まる。信号の赤が雨にぬれた路面と車のフロントガラス、そして僕を照らす。
実際には大した時間ではないはずだが、随分長い事その赤信号を見つめていた気がする。

小説書こう。

突然思い立った。今までの4本はエッセイ。小説を書くなど微塵も考えていなかった。
小説を書こう。
賞をもらった2編は、辛いことを周りの人との関わりで消化し昇華する。そんなエッセイだった。
そんなことを小説にしてもいいのかもしれない。
他のテーマが見つかればそれを書けばいい。
とにかく小説を書こう。
今まで読んでくれた人は、僕の小説を読んでくれるのだろうか。そんなことは分からない。
でも小説を書こう。

遠くで誰かのクラクションが聞こえた。



それから書いた小説は一年半で22本。3,000字から40,000字。
評判が良かったり、そうでもなかったり。
いつも最初に妻が読んでくれる。
中学生なった息子も時々読んでくれる。

息子が言った。
「いつ本になるの?」



あるロックンローラーが言う。
「昔、10代には10代、20代には20代の『いつかきっと』があると思っていた。でも30代、40代、そして50代には50代の『いつかきっと』があるんじゃないかって、最近思うんだ」

僕はたぶん書き続けるだろう。自分の為にかもしれないし、誰かのためにかもしれない。妻や息子のためにかもしれない。そんなことは良くわからない。
だいたい、走って行く先に何があるかなんて分かる奴はいない。

とにかく僕は書き続ける。


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