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調味料をくすねる使用人と、元国王に嫁いだ日本人と

2018年。私は冬をロンドンから離れた、イングランド南部イースト・サセックスEast Sussexの町で過ごしていました。ロンドンの空気汚染は深刻で、人々は暖をとるために喫煙をし(路上喫煙は英国内で違法ではありません)、そうした煙のために多くの人が喘息に苦しんでいます。私もその一人です。

特に冬は肺の調子が良くなく、友人たちに別れを告げ泣く泣くロンドンを去り、空気が綺麗なある田舎町に移り住みました。

この田舎町には数人の日本人たちがいました。ほとんどが現地の方と結婚された日本人妻たちです。都会の喧騒から一転、海以外に何もない田舎町に引っ越した私は暇を持て余し、町の中心部に出る時には田舎では珍しい日本人や中国人を探すようになりました。

ある時ご年配の日本人女性にお会いし、声をかけてみました。この方は、ご主人さんのお仕事の関係で長年オマーンに住んでいたという方でした。すぐに「そこにカフェがありますからお茶でも飲みましょう」という事になり、お茶とおしゃべりを楽しみました。

私はご年配の方のお話を伺うのは嫌いではありません。話し方に寄りますが、品のある方や経験を積まれている方の人生経験は、私の視野を広げてくれます。こちらの方のお話はまさにその「開眼」ものでした。仮にA子さんとしましょう。A子さんがオマーンに住んでいたのはもうずっと何十年も前のことです。

オマーンという国は中東にある国です。イスラムの国です。王室があり、絶対君主国家です。ご主人さんはこのオマーンの開発に従事され、その妻であるA子さんも一緒について行って移り住みました。そんなある日のこと、オマーンの王室からA子さんにお声がかかったというのです。A子さんはそれはそれはビックリしました。何せ絶対君主制を敷く王室が、一介の外国人に声をかけてきたわけですから。

実はそれには事情がありました。オマーンの王室にブサイナ王女という方がいます。この王女、実は母親は日本人女性なのです。なんでも元国王が日本を訪れた時にダンスパーティーで日本人女性セイコさんを見かけ、2人恋に落ち結婚して生まれたのがブサイナ王女だとか。その後サイコさんは病死され、ブサイナ王女はオマーンで育てられることになりました。

混血の多いロンドンにいた時によく言われていたことがあります。「違う国籍同士で男女が結婚し、家族は大抵父親の国に暮らす。子供たちは父親の国で育ち、父親の言語を学ぶ。だがある時大人になってから、自分のアイデンティティーに目覚めて、母親の側の文化を知りたいと思う時が来る」と。

ブサイナ王女もその一人だったのでしょうか、その王女がA子さんに「お会いしたい。お会いして話がしたい。日本のことを話してほしい。」とお声がけされたのだそうです。このお申し出にA子さんはビックリ。「それで、王女にはお会いしたんですか?」という私にA子さんは「まさか。私はただ単に旦那にくっついてきた外国人の主婦でした。たまたま日本人が他にいなかったから私に聞いてきたのだと思います、でもお話しできる事なんて私には何もありませんでしたから、丁重に辞退しましたよ。」

謁見ならず。ちょっと残念な気もしましたが、A子さんとの会話はそのまま、家でお手伝いさんを雇うお話に代わりました。

日本ではあまり一般家庭ではなじみがありませんが、いくつかの国では裕福な家庭がお手伝いさんを雇うことがあります。私のロンドンの日本人の友人の中にも、お手伝いさんの仕事をして他の日本人家族の豪邸の一画に住まわせてもらっていた人がいました。

A子さんの家も、オマーン政府に召喚されて開発事業に携わっていた関係から、お手伝いさんが家にいました。A子さんは呟くように言いました。「お手伝いさんを通して、現地の方がどれだけ貧しいかがよくわかりました…。」

私の友人で、インドネシアに駐在していた家族がいます。その家族の友人が経験した話を聞いたことがあります。その日本人駐在家族も現地の方をお手伝いさんとして雇っていました。そしてある時、気づいてしまったのです。調味料がどんどん少なっていくことに!ああ、これは使用人がくすねていっているなと気づいた家族は、調味料が入った瓶を逆さまにして、どこまでかさがあるかマジックペンで線を引きました。そして元の状態に戻します。

逆さまにしてからマジックペンで線を引いているので、お手伝いさんにはその意味が解りません。相変わらず調味料をくすねていきました。毎日ちょっとずつ。こうして、盗んでいることが明白になった時に、日本人家族はお手伝いさんに、くすねていることを知っていると伝えました。解雇を伝えたかどうかまでは記憶にありません。

この話を聞いて、A子さんはまたため息をつくようにいいました。「あのね、どんなに外国で暮らそうと、日本の方にはわからないのよ、現地の方がどんなに貧乏で最悪の状態で暮らしているかが…。わかっていないんですよ。」

私は、それまではどんな理由であろうと窃盗は罪だと信じていました。貧困は理由になりません。今もそう思います。でも、自分ではどうしようもならない環境に無理やり置かれた方の事情を汲みし、同情を示して何か助けになることがあれば助けてあげるのが正しい事なのだと気づかされました。自分はどん底の生活をしている訳ではありません。だからどん底の人の気持ちがわかりません。どん底にいるから悪い事をした。でも、だからと言って裁いていい理由にはならないのです。

今の日本でそこまで貧乏な人はほんの一握りしかいないかもしれません。でも、少し視線を遠くにやれば、こうやってどうしようもない状態の中必死にもがき生きようと戦う人たちがすぐ足元にいるのかもしれない、と気づかされたお茶の席でした。

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