見出し画像

ポンコツ社員のベンチャー起業物語   【♯1】俺の人生ってこれでいいんだっけ。

 ※これはサラリーマンとしてポンコツな自分がベンチャーを起業してその後どんな人生を歩むのか。(需要はないであろう)を書いていく実話物語。

多くのサラリーマンがふとした会社からの帰り道とかに

「あれ、俺の人生ってこれでいいんだっけ。」

なんて、混雑した夜8時の電車内でエモい音楽をイヤホンで聴きながら思ったりしませんか?

例に漏れずそんな風なことを思っていた自分もあっという間に32歳。

普通に都内の私立大学を卒業、リーマンショックの煽りを受けて、友人たちの多くが就職浪人という茨の道を歩んでいく中、本当にたまたま運よく東証一部上場エンタメ企業(芸能)に内定をもらい、少しだけ調子をこいていた2010年。

昔からテレビとかドラマとか音楽という華やかに見える仕事に興味があり、(理由が当時の大量生産型大学生のひとり)

毎日昔からよくテレビで見ていた芸能人と一緒の現場で仕事ができることに最初はやりがいを感じていた。

自分は音楽アーティストよりも女優さん、モデルさんたちのマネージメント業務に従事していたが、しばらく経つとどうも感じる違和感・・・。

大手事務所とかのマネージメント事業部とかって会社によって本当に捉え方が違うんです。

吉○さんなんかは一人が抱える芸人さんが多すぎてバラエティ出演交渉、ギャラ交渉、スケジュールを切り、お給料の計算なんてのが最初強いですが、ほか大手事務所になると女優さん俳優さん担当は局や映画会社のプロデューサーほかあらゆるメディア・媒体と話しに行って出演交渉だったり、本を読ませてもらって提案したり、内容によってアサインするヘアメイク・スタイリストさんと打ち合わせしながらイメージ戦略を練ったり、本人と芝居談義なんてのもあるかもしれません。

音楽アーティストになるとライブ工程組んだりイベントの制作として動いたりこれまた違う業務がたくさんあるので、

「今仕事はどんなことしてるの?」

と聞かれても多岐に渡りすぎて今何をしているのかすら明確に答えられないこと、よくありました。特に大手事務所にいると。

ただ共通して感じていた違和感は、

「なんかビジネス0→1でもクリエイティブ0→1でもどちらでもない感じがして・・・これがしたかったんだっけ・・・。」

(今考えるととてつもなく生意気・・・)

第一線の方々が集まるクリエイティブな現場において、売れっ子担当してる現場Mgさんとかが勘違いして大きな態度でいること、たまにあるんです。

(業界の方はあるあるかと思いますが、たまにいますよね。それです。)

けど振り返ると、すごかったのは芸能人であって、Mgである自分は結局何も生み出せてないじゃないか、と日々虚しくなったりします。

(もちろんそこの領域にいってる先輩方もたくさんいました)

会社の中で大きな成果をあげていたり、同期より先に出世したり、そんなことできる奴だけが思うことを許されるであろう違和感を抱え、ほとんど成果を出せず「0→1ビジネスがしたい」という思いと、会社での出世などほぼ諦めて転職を決意。それが2014年でした。

地元のテレビ局がたまたま第二新卒を募集していたので履歴書を送付したところ、芸能系から来ることが珍しかったのかトントン拍子で面接なども進み、奇跡的に筆記試験も通過。

筆記試験とかもそれなりに勉強はしましたが、湧き上がる人生の不安を勉強という時間に充てることで「漠然とした不安を埋めていた」んだと思います。

(こういう時期ありませんか?)

キー局ではないけど夢見ていた「何かを生み出すビジネス」に近づけた気がしたのでした。

営業局へ配属

「なんだか東京の芸能会社から久しぶりに中途が来るらしい・・・」

そんな噂をたてられ、おそらく変な期待をされて入社したが、当然その期待は裏切ることに。

本社でテレビ・ラジオのCM営業を担当。

そもそも営業という営業の経験があまりなく、(マネージメントは少し営業とも違った)テレビ広告のことについてもちんぷんかんぷん。

(GRPってなんだ、パーコストって意味わからん。PTかステブレなのかとかどうでもいいわ。)

それでも入社2週間で150万円協賛モノの営業が運よく決まったり、自分なりには「まあまあうまくやれてんじゃん」と思っていたが、入社前の期待が高すぎたせいか対して評価もされない日々が2年続いた。

入社して2年が経ち、うららかな春がやってきたころに自分の人生をまた大きく変えていく通達が。

○○支局営業部へ異動せよ。

左遷なのかたまたまなのか(おそらく左遷?笑)ローカルなのにさらにローカルの支局へ異動人事が届く・・・。

ーーーーーーーローカル支局へ異動

【Vol.2】へ続く・・・。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?