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家族でいることが寂しい人へ

ミステリー短編集『夫の骨』の表題作「夫の骨」は、夫が何を考えていたのか分からないまま夫に先立たれた妻が、夫の遺品を通して、夫のことを分かろうとする話だ。
「夫の骨」だけでなく、収録された作品の主人公は、家族と分かり合えないことや、積み重なっていく日常のすれ違いから生まれる苦しさを抱いている。

作品の中で描写される「私」の、そうした心情のほとんどは、自分が家庭生活で感じた腹立たしさや悲しみ、寂しさを見つめて、言葉にしたものだ。
多かれ少なかれ、誰もが感じていることかもしれない。だが、「そんなものだよ」と言われても、それで納得することはできない。

暴力や借金などのはっきりした問題と違って、「分かり合えない」、「すれ違うことが多い」という悩みは、周囲に相談しづらい。「話し合えば済むことでしょう」と言われるだけで、これが問題だとは分かってもらえない。
だから、これから書くことは、もしかしたら理解できない人が多いかもしれない。
けれど同じような苦しさを感じている人も、いるかもしれない。

日常生活の中での家族とのすれ違いは、内容自体は、本当にささいなことが多い。
食事の仕方。家事のやり方。お金の使い方。子供などの他の家族への接し方。世の中のニュースに対する感想。
価値観や育ってきた環境が違うのだから、それぞれ違っていて当たり前だ。しかし、家族である以上、すり合わせなければいけない部分が生まれてくる。特に子供を育てる上では、方針やルールを決めることが必要になる。

だが、この「ルールを決めてお互い守る」ということが、自分と家族との関係では、上手くいかなかった。

話し合ってルールを決めても、家族はとても高い頻度でルールを守ることを忘れ、時にはルールを決めたことすら忘れてしまう。
また、ルールの適用が、自分の理解と違っていたりする。具体的に言えば、「ごみをその辺に置きっぱなしにしない」とルールを決めたあと、テーブルの上に使用済みのティッシュが置かれているのを注意すると、「《その辺》に置いたんじゃない。テーブルの上に置いたんだ」と反論される。

ささいなことかもしれないが、こういうことが毎日のように続くのは、自分にとっては疲れることだった。ルールの中には、健康や安全に関するものも含まれていて、「もう面倒だからどうでもいい」と切り捨ててしまうこともできない。
「決めたルールを忘れる」ことは、家族にとっては「ただ単に忘れただけ」だが、ルールを守ってもらえなかった立場からは、自分がないがしろにされたように感じる。

「興味のないことは忘れてしまう」、「あいまいな言い方が伝わらない」という家族の特性が理解できるようになるまで、自分は家族が、自分に悪意を持っているのではないかと思っていた。今は理解できたつもりだが、それでも時々、「わざとやってるんじゃないの?」と思ってしまうことがある。

こういう日常生活のすれ違いは、多大なストレスの元ではあるが、「分かり合えない」苦しさに比べると、そこまで根は深くない。

人の気持ちを想像することが、とんでもなく苦手。
自分自身がどんな気持ちか、考えて言葉にすることができない。
ものの感じ方、捉え方が、あまりに違いすぎる。
こういう特性を持った人と家族になると、家族でいることが寂しかった。

家族に自分の気持ちを伝えても、分かってもらえた気がまったくしない。
家族が今、何を考えているのか、どんな気持ちでいるのかを一切話してくれない。あるいは、聞いても理解ができない。

子供を育てて、仕事をして、忙しい毎日のおかげで目を逸らすことはできたが、苦しさは消えなかった。今も手放せてはいない。

『夫の骨』は、家族と暮らすことの苦しさを感じていなければ、書けなかった作品だ。
ミステリーとして楽しんでもらえたら、それだけで充分嬉しい。
けれど、自分の苦しさを、同じような苦しさを感じている誰かと「分かる分かる!」とうなずき合えたら、それは泣けてしまうくらい幸せだ。


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