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揺るがない、確かなもの

矢樹純が作家としてデビューしたのは2012年。デビュー作は売れず、おかげで次作を出してもらえる出版社がなかなか見つからなかった。
2017年に、やっと第二作となる長編ミステリー『がらくた少女と人喰い煙突』(河出文庫)を出すことができたが、こちらも売れなかった。

作家としての矢樹純には、売れていないという実績しかない。
7年間で2冊しか本を出せず、重版がかかったこともない。なかなか酷いキャリアだと思う。

それでも前を向いて、次の作品を出すための歩みを止めずにこれたのは、自分の作品に自信があるからだ。
この自信は、デビュー前、投稿作に対して「これはきっと受賞するに違いない」と確信していた時の、根拠のない自信とは違う。
一作、一作、頭と手を動かして、書きながら、積み上げてきた自信だ。

矢樹純の3作目となるミステリー短編集『夫の骨』には、今の自分の根となっている、それらの作品が収録されている。
『夫の骨』がどのようにして書かれた作品か、振り返ってみたい。

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デビュー作が驚異的に売れなかった自分は、デビューした出版社で2作目を出すことができなかった。
自分が書いているジャンルでは当時、出版社は企画や原稿の持ち込みを受けつけておらず、再デビューの道はとてつもなく狭かった。
なんとか打ち合わせをしてくれる編集さんと出会うことはできたが、書き上げた長編ミステリー『がらくた少女と人喰い煙突』は、ハンセン病をモデルにした疾患が出てくるということで全ボツになった。次に出した企画は、「こういう入り組んだ話はもっと力をつけてから書くべき」と却下された。

そして、力をつけるために編集さんから提案されたのが《一か月に一本の短編ミステリーを書くこと》だった。

月末を締め切りにして、10編を目標に書くように言われた。
書くだけでなく、優れた短編をたくさん読むように、とも言われた。

その頃、自分が抱えていた漫画原作の仕事は、連載中のものが一本と、連載準備中の企画が一本。そして低学年から高学年の子供3人を育てていた。
月一本の短編を書き続けるのは、自分にとっては楽なことではなかった。

プロットを作るのに一週間、50枚の原稿を書くのに10日、推敲に5日というスケジュールで、それを約一年間続けた。締め切りに一度も遅れることなく、11編の短編を書き上げた。

書きながら、ミステリーに限らず、また短編に限らず、たくさんの小説を読んだ。様々な作品に触れる中で、自分が小説を通して、やりたかったことを掴めた。
「こういうふうに人の心を動かしたい」と、目的を持って書くようになった。自分の小説が、今までと明らかに変わったと感じた。

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書き上げた小説は、毎月、編集さんに送っていた。
好意的な感想はもらえたが、出版するという話は出なかった。

だが、この作品は、いつか世に出せると信じられた。
確かな手ごたえを感じる、揺るがない力のある小説を書くことができた。
これは、必ず人に届くと思えた。

そして昨年、祥伝社の編集者の方に、この短編の原稿を読んでもらうことができた。原稿を送った翌月に、「出版する方向で話を進めたい」という返事をもらえた。


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