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売れなくても、喜んでいい

この「生きていくためにやるべきこと」というマガジンは、漫画原作者として、作家として、作品を書いて生きていくには何をしたら良いか、考えるために作った。
しかし今、作品を書いて生きていくどころか、普通に生きていくことすら困難になっている。作品が売れないという、相変わらずの理由のために。

二週間ほど前に発売になった『夫の骨』というミステリー短編集が、おそらく売れていない。
一日に何度エゴサーチしても感想があまり見当たらないし、一日に何度もAmazonのランキングをチェックしているが、発売から順位が落ちる一方だ。
編集さんから「売れていない」とはっきり言われたわけではないが、気の毒だから伝えられないのに決まっている。

このように、自分は作品が売れないことについて、病的な被害者意識と恐怖心を持っている。
これまでお話を作る仕事をしてきて、本が売れないために連載が打ち切りになったり、次作を出せなかったりということが何度もあったからだ。

面白い作品が書けた、良い仕事ができたという自信は、売れないという事実を前にすると、ぐらぐらになる。その自信が失われると、自分という人間の価値まで疑うようになる。我ながら、難儀な性質だと思う。

売れないのを必要以上に気に病むことは、売れないこと以上に問題だ。新しい作品を生み出す元気も湧いてこないし、どんよりした顔で延々Amazonや読書メーターのページを見ていると、家族の迷惑になる。
そこでまず、どうして自分はこうなのかを考えてみた。
それは自分がデビュー前からずっと、お話を作ることを仕事と捉えてきたからではないだろうか。

自分は、《仕事として》以外の原稿を完成させたことが、一度もない。
お話を考えることは大好きだったが、書こうとは思わなかった。面倒だったし、それを誰かに伝えたいという気持ちもなかった。書きたいという熱がなかったのだ。

書こうと思えたのは、在宅の仕事をしようと決めてからだ。
自分と夫はお互いの実家が離れているため、子育てに親の手を借りることができなかった。共働き家庭で育ったので、働きながらの子育ては、祖父母の助けがないと大変だということは分かっていた。なので自分は結婚後、在宅の仕事に就くと決めて、校正の仕事を始めた。それと並行して、漫画原作の仕事を始めた。

お話を作り、書くことは、仕事だ。そしてこの仕事の成果は、売れたかどうかで判断される。
書いたお話を読んでもらえることは嬉しい。「面白かった」と感想をもらうことも嬉しい。それ以前に、作品を世に出せたことが嬉しい。本屋さんの棚に自分の作品が並んでいることが嬉しい。
だが成果を出せなければ、その仕事は失敗で、価値がない。

この考えのせいで、書いて生きることが苦しいのかもしれない。

自分は、仕事の成果を出せていないのに、その仕事から喜びを得てはいけないような気がしていた。だから嬉しいと感じることに、ブレーキをかけていた。
こんなふうに頑なに「書くことは仕事だ」と一線を引いているのは、仕事にしなければ書けなかった、熱がない人間だという負い目のせいだ。

その負い目は消えないし、成果を出さなければと今後もじたばたし続けるのだろうが、せめて喜ぶべきことを、きちんと喜ぶようにしたい。
そうしなければ、自分を嬉しくさせてくれた人たちに申し訳ないし、その喜びはきっと仕事のやりがいというもので、しっかり味わうべきものだから。

今日立ち寄った本屋さんで、自分の本が表紙を見せて置いてもらえていて、嬉しかった。

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