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サンタさんとごま和え

この前、お子さんがいる会社の先輩と
「いやー、ヨドバシからまだ届いてないんですよね、子供のクリスマスプレゼント。」
「あー、今年は運送業者も大変そうですもんね。」
なんて話をしていた。
世の中ではこの週末、沢山のクリスマスプレゼントが行き交うのだろうけど、それを運んでくれているのはサンタクロースではなく人だという当たり前に、気付いたのはいつだったろう。

我が家では、「サンタクロースを信じない人にはクリスマスプレゼントは届きません」というルールがあった。
もちろんプレゼント狙いの私は、「欲しいものがもらえるなら、何だって仰せの通りに!」という勢いで、一切の疑いもなくサンタクロースの存在を信じていた。
ただ同時に、「中学生になったらクリスマスプレゼントはありません」というルールもあったので、小学6年生までは信じていた、というのが正しい。
信じることのメリットがないと信じられない、怠惰な信者だった。

そんなルールのおかげで、小さい頃はサンタクロースがいるものだと思っていたのだけれど、毎年11月頃になると、朝刊に挟まれたトイザらスのチラシをまじまじまじと見ながら、今年のプレゼントは何をお願いしようかと、一年で最大にして最幸の悩みを抱え始めた。
あまりに高価なものはサンタさんに欲張りだと思われてしまうかもしれないし、ゲーム機は禁止だったのでその類もだめ。
悩もうと思えば永遠に悩める悩みだったけれど、「ぎりぎりまで決まらないと、サンタさんも困るでしょ」と母に言われ、必死に決断するというのが例年だった。
プレゼントが決まったら、「〇〇が欲しいです」と手紙をしたため、「私がサンタさんに送っといてあげる」と話す母に託した。

サンタさんはちゃんと手紙を読んでくれただろうかとドキドキしながら、クリスマスイブを迎える。
12月24日の夜ごはんは、カリカリに皮目を焼いたチキンステーキに、オイルとニンニクがきいたシンプルなパスタと、マッシュポテトを添えたのが定番だった。
父の自慢の1皿だ。
ジューシーなチキンをもぐもぐと噛みしめながら、ふと「サンタさんはお腹が空かないのだろうか」と疑問に思った。
雪の中、何軒も家々を歩き回らなきゃいけないんだもん、お腹が空くに決まっている。
せめて我が家に来た時は、お腹を満たして次の家に向かってほしい。
なんて良い子のふりをして、腹のうちでは「サンタさんのポイントを稼ぎたい!」という欲にまみれた画策でしかなかったのだけど。

「サンタさんは嫌いな食べ物はあるんだろうか」と答えのない問いにぐるぐるしながら、冷蔵庫の中身を漁ってみた。
栗の甘露煮とか鴨肉とか、お正月に向けた食材はあるけれど、手頃なものが全然ない。
チョコレートというのも、サンタさんの体の大きさを考えると、何だか栄養にならない気がする。
そんな逡巡の果てに幼い私がセレクトしたのが、タッパーに入った父お手製のごま和えだった。
昨日のおかずで出てきた、インゲンのごま和え。
これなら体にいいし、パクパクと食べやすいし、サンタさんも喜ぶんじゃないかと本気で考えて、ガラスの小鉢にごま和えをよそい、「どうぞ」と書いたメモと一緒に、玄関先に置いておいた。

次の日目が覚めて、玄関を見にいくと、空っぽになった小鉢と頼んでいたプレゼントが置かれていた。
ちゃんと頼んだ通りのものが届いたのもさることながら、ごま和えを食べてくれたのも、「サンタさんも普通にごはんを食べるんだなあ」と、サンタさんが生きていることを知れた気がして、嬉しかった。

今思えば、フィンランドからやってきたサンタクロースが、純日本的なインゲンのごま和えを、何も怪しまずに食べるとは到底思えないのだけど、純粋無垢というのはすこぶる強いなあと思う。
あの頃のまっ白さと比べると、20年も生きていれば、人間たるもの、どんどんどんどん汚れていくなと、痛感するばかり。
今の子供たちはサンタクロースの存在なんて、はじめから信じたりしないのだろうか。
たとえ信じてみても、親のスマホを覗けば、すぐにGoogleが真実を教えてくれてしまいそうだから、信じ甲斐がなさそうだ。
まあ別に、プレゼントを運んでくれるのがサンタクロースであっても、ヤマトの配達員さんであっても、ちゃんと感謝をしなきゃいけない。
頑張る人がお腹を空かせることがないように、冷蔵庫は空っぽにしちゃいけない。
そんなことを思う、メリークリスマス。


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