見出し画像

おにぎり論

前に、祖父の作る塩むすびが好きだと書いたのだけど、基本的におにぎりが好きだ。
お茶碗に盛られたごはんはあまり量が食べれないのに、おにぎりにした途端、はむっと食べやすくなって、好き。
というか、好きか嫌いか選べと言われたら、全国民の過半数は好きと言う食べ物だと思うので、別に珍しい話ではないけれど、私自身がおにぎりを好きになったのは、明確なタイミングがあった。

高校3年生の時、私には食欲がなかった。
今となっては、一夜の間にラーメン用のチャーシューを作る夢と、人気のお寿司屋さんに並ぶ夢を、二本立てで見るくらい食い意地が強いのに、当時の私は食べることを拒否していた。
あの頃に戻れるなら、なんてもったいないことをしているんだと自分をこっぴどく叱りたいくらい。
でもとにかく、その頃は食べ物が喉を思うように通ってくれなくて、唯一抵抗なく食べれたのが、母親が作る「クリームチーズおかかわかめごはんおにぎり」という非常に長いメニュー名の料理だった。

いつどのタイミングでこのおにぎりが開発されたのか、正確なことは覚えていない。
ただ、いきなり出来上がった訳ではなく、改良と進化を重ねて、最終形に辿り着いたのは間違いない。
そもそもは、おかかチーズおにぎりが始まりだ。
おにぎりの具材として、割とよく見かけるものだけれど、私も母も、プロセスチーズの類が好きではなく、「クリームチーズに変えたら美味しいんじゃないか」となり試したところ、お米の温かさでクリームチーズがほんのり柔らかくなって、いわゆるおかかチーズとは全く別物の味になって気に入ったので、これがベース。
で、そこに海苔を巻いていたんだけど、ある日海苔が切れていたのか、母が気まぐれにわかめごはんの素で作った混ぜごはんに変えたところ、わかめごはんの塩気とクリームチーズのクリーミーさが相まって、めちゃくちゃ美味しかった。
その日の夜仕事から帰宅した母に、「今日のおにぎり、すごく良かった!」と伝えたのを覚えている。
最終的に、「ラップで巻くよりもアルミホイルで巻いた方がおいしい気がする」という母の感覚的な発明によって、「クリームチーズとかつお節をお醤油で和えたものを、わかめごはんで握って、アルミホイルで包んだ、『クリームチーズおかかわかめごはんおにぎり』」が完成した。

当時は母が作るそのおにぎりしか食べたくなくて、食べれなくて、朝ごはん用に1個、お昼ごはん用に1個、合わせて2個作ってもらい、それが1日の食事だった。
その生活を半年近く続けていたのだけど、家族の中で私以外にこのおにぎりを食べる人はいなかったから、母は兄妹用には色々なおかずを詰めたお弁当を作り、私の分だけ別に用意してくれていた。
同じ食材、同じボウル、同じアルミホイルで、ひたすら毎日作ってくれた。
一度「毎日同じでつまらないと思うし、私の分だけごめんね」と言ったことがある。
母は「こんな楽なことないよ」と言ってくれた。
でも毎日同じように見えて、小さな変化が実はあって、例えば和えるお醤油の量を調節したり、めんつゆにしてみたり、使うクリームチーズのメーカーを変えてみたり。
そこには母のささやかな実験が隠されていた。

およそ半年間、毎日2個食べていたということは、その期間だけで360個くらいこのおにぎりを食べていたことになる。
人生において、何度も食べるものがあれば、一度しか食べないものもある中で、少なくとも360個はこれを食べたわけで、どこかで私の血となり肉となっているのは確かだと思う。

そう、私にとっておにぎりは、「血となり肉となる感」がすごくあるのだ。
ぎゅっと握られたおにぎりを食べると、ゲームの中のギャラクターみたいに、「私はおにぎり1個分のエネルギーをゲットした」という感じがする。
お茶碗に盛られたごはんだって同じと言えば同じなのに、みなぎってくるエネルギーが違うのだ。
それだけを食べて生活していた頃があるから、余計そう思うんだろうけど、食べた瞬間に「ぐっぐっぐっ」と体がパワーアップする感じ。

そして、おにぎりはとっても繊細だ。
お米の炊き具合はもちろん、中に入れる具材の大きさ、握る時の力具合、どれひとつをとっても、そのまま味に直結する。
丁寧さも雑さも、隠すことができない。
「おいしくなあれ」の魔法じゃないけれど、「今日も頑張れますように」と心を込めて作る時と、ケンカをした日にぶっきらぼうに作るのでは、やっぱり違っていて、他の料理とは比べものにならない素直さが、全部をメッセージにして伝えてくれる。

親元を離れて暮らすようになってからは、自分のために自分で握るおにぎり。
出社前の朝は常にバタバタしているし、込めたい気持ちも特になくて、ほぼ無意識でぼーっとしながら作ってしまう。
いつもよりおいしい時もあれば、おいしくない時もある。
「なんでかな」と思うけれど、そのおにぎりを作った今朝の自分がどんなだったかさえ、思い出せない時も多い。
まあ、「人に握ってもらったおにぎりが一番おいしい」と拗ねちゃう気持ちはあるのだけれど、そう諦めてしまうのは情けない。
大人たるもの、良い時も悪い時も、気合いの込めたおにぎりを、自分のために作れないと。
おいしいおにぎりは、大人の証だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?