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【邦画新作/アニメ】『名探偵コナン 100万ドルの五稜星(みちしるべ)』ネタバレあり感想レビュー—ファンムービーへの急激な路線変更は長寿シリーズにとっては危険な賭けではないか


監督:永岡智佳/脚本:大倉崇裕/原作:青山剛昌
配給:東宝/上映時間:111分/公開:2024年4月12日
出演:高山みなみ、山口勝平、山崎和佳奈、小山力也、堀川りょう、松岡禎丞、菅生隆之、大泉洋


前作『黒鉄の魚影』でうっすらと感じた予感が、本作『100万ドルの五稜星』で確信に変わった。『名探偵コナン』の劇場版は、まず熱狂的な既存ファンへのアピールを最優先する方針に転換したのである。ここでいう既存ファンとは、必要もないのに「安室」の印鑑を買いに走るような人たちのことで、おこづかいで「週刊少年サンデー」を買っているような小中学生ではない。

コナン劇場版は、何も知らない新参者、特に初見の子供にも配慮された作りなのが美徳とされていたはずである。よく言われる「映画冒頭で必ず設定を説明する」というのが最たる例で、本作でも確かにあった。また、テレビアニメでは既出だが映画では初登場のキャラクターも、どういう人なのか何気なく説明を含ませる出し方など、かなりうまいほうだと思う。そのあたりは、長寿シリーズらしく培ったテクニックが活きている。だが、もっと根本的な面で、本作は大きく異なる方向に進んでいる。

怪盗キッドが出ると緊迫感がなくなる。という、コナン劇場版の傾向その1を把握していれば、本作が薄味なのは観る前から予想できたことだ。おそらくは、作品としての『名探偵コナン』と『まじっく快斗』(怪盗キッドの本来の登場作品)では、リアリティラインが違うからであろう。グライダーで空を飛び回り、誰にでも変装でき、トランプを発射して銃を持った相手と互角に戦える。こんな、現実的なピンチは即座に解決してしまう存在がいては、緊迫感なんて作りようがない。

※ 過去作では、あまりに怪盗キッドの能力が万能すぎるのを調整するためか、けっこうポンコツにされていたが、本作ではそれもない。

もちろん『名探偵コナン』だって、黒の組織だったり阿笠博士の発明品だったり、あるいは毛利蘭の怪力だったりと、リアリティラインを大きく下げている荒唐無稽な要素もある。だがこれらは、あくまで状況を大ごとにする、つまりスペクタクルを盛り上げるためだ。コナンの世界では、銃と火薬は一般人でも簡単に手に入れられるのも、そういうことである。怪盗キッドは逆で、現実における一大事を瞬時に解決してしまう、スペクタクルを縮小させるための存在なのである。たとえ誰かが上空から落下しても「どうせ怪盗キッドが助けるし」って観客は瞬時に思うし、実際にそうなるのだから。

服部平次が出るとスピンオフになる。コナン劇場版の傾向その2だ。服部平次は、コナンキャラ相関図の中でも特殊な立ち位置というか、黒の組織や公安など本筋と大きく絡む要素とは離れているが、しかし江戸川コナンの正体を知っているなど、単なる脇役にしては存在感が大きすぎる。そのため服部平次を扱おうとすると、どうしてもメインのあれやこれやと切り離す必要が出てくる。結果として、黒の組織などの重要な要素は脇に追いやられるし、江戸川コナンですら服部平次の物語に登場するサブキャラに追いやられてしまうのだ。

以上の、傾向その1とその2が合わさると、どうなってしまうか。なんたって、怪盗キッドによって緊迫感のなくなった世界で、服部平次というただの高校生が謎解きをする話である。そこには、反政府組織による壮大な陰謀も無ければ、生死のかかったスリリングな展開も無い。車が一台爆発する程度で、コナン劇場版の特徴である火薬インフレだって見る影もない。アクションと呼べるのは日本刀による殺陣くらいだが、人間の細やかな動きで魅せるのはコナンの画風とは相性が悪く、昨今のアニメの平均にも達していない。あと、操縦席に誰もいないまま飛んでいる飛行機の翼の上で2人が斬り合いするのは、もはやアクションではなくギャグだからね。

個人的には、数年前にそれまでのコナン劇場版を4日かけて全て鑑賞した結果「これは日本の007だ」という結論に至ったが、ここまでアクションが制限されてしまっては、とてもとても007ではない。では、コナン劇場版からアクションを取り払うと何が残るかというと、いつもの無理筋すぎる強引な謎解きと、あとは冒頭で触れた既存ファン向けのキャラ萌えだけである。この2つの要素は、通常ならば壮大なスペクタクルの脇に置かれていたサブの要素だったから悪目立ちせずに済んでいたのだが。

無理やりな謎解き要素については、コナン劇場版だけではなくミステリを扱った映像作品には常についてまわる問題ではある。「そんなややこしくて何段階もある暗号を残すか」「そんな適当なヒントがあるか」「そんな一瞬で正解を閃くなんて、おまえ最初から知ってたんじゃないか」「そんなところに隠して100年も見つからないわけないだろ」などなどのツッコミは、過去に映画館で何百回も叫んだ(心の中で)ことがある。まあ、それでも本作のややこしさは群を抜いているわけだが。

それより大きな問題となるのが、既存ファン向けのキャラ萌え要素だ。前述したように、服部平次を出すと、コナンはじめ他のキャラクターの存在感が相対的に薄くなる。ただ、服部平次の物語って、ほぼ恋愛なのである。お互いに好きだけど気持ちを伝えられていない幼馴染・遠山和葉とのラブコメが延々と続く。さすがにそれだけでは間が持たないので、服部平次に一途な天然お嬢様とか出てきたが(コメディリリーフなのだが、いまいち使いこなせていなかった)。あと、本作のゲストである男キャラが、和葉にいきなり一目惚れしていて猛アタックをしかけてくる強引な展開もあった。そのキャラは事件のほうでの重要人物なので、一目惚れの件は後半では忘れ去られていたけど。なんか全体的に雑だったような。

高校生にしては初心すぎるラブコメとか、コナンの活躍目当てで劇場に来た小学生は観ていて楽しいのだろうか。そもそも、服部平次のラブコメって既存ファンにもどれだけの需要があるのかは、外野にはイマイチ把握できないが。別に「服部」の印鑑が爆売れしたりはしていないでしょう。でもまあ、前作の灰原哀と同様に、すでに多くのファンのついているメインキャラクターを掘り下げていくスタイルが2本続いたわけで、それはもう既存の客に向けたファンムービーである。ネット上などで熱狂して騒いでくれて、湯水のごとく金銭を使ってくれる人たちにアピールするのは、短期的には数字に反映されるだろうが。でもそれ劇薬だからなあ。

『紺青の拳』以降、コナン劇場版の様々な不文律を壊すことが多くなっているのが、どうにも気になる。実は『紺青の拳』『緋色の弾丸』と本作が同じ監督であるが、急激な路線転換との関係性については、よくわからない。ともかく、既存ファンへの目くばせばかりで、未来のファンとなってくれるかもしれない初見の子供達を蔑ろにしがちな昨今のコナン劇場版は、非常に危険な賭けに出ているようである。大丈夫かな。

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