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【エンタメ日記】『かくしごと』『わたくしどもは。』『ぼざろ総集編』『仁義なきヤクザ映画史』編 2024/06/04~06/09

2024/06/04(火)

【映画本】『仁義なきヤクザ映画史』伊藤彰彦・著

国定忠治や清水次郎長に始まり、「反社」と呼ばれるようになった現代に至るまでのヤクザ映画の変遷を追う。まず、ひとつひとつの章が短く、それぞれの章に独立したテーマがあるので、少しづつ読むのに適しているのが良かった。いずれの話も興味深く刺激的で、著者による監督や役者へのインタビューが随所に挟まるので日本映画史が立体的に広がる。
国家もしくは日本社会そのものが都合よく利用してきたヤクザを、必要なくなった途端に一方的に切り捨てて石を投げる現在進行形の行為は、それが大義だとしても道徳としては間違っているのだろう。ヤクザに依存した社会を構造から見直すのは必要にしても、何らかのフォローは必要ではないか。まあ、社会について語るのは話が大きすぎるかもしれないが、少なくとも邦画が発展するうえでヤクザの存在が欠かせなかったのは純然たる事実だ。
高田宏治(『極道の妻たち』などで知られる東映の名脚本家)を主人公とする映画の話が持ち上がり、NETFLIXが興味を持ったが、当時の東映の社長(誰かは不明)はヤクザと関わっていた会社の過去は恥ずべきものだとNGを出したそうだ。まさか東映がそういうスタンスを取るとは失望するしかない。
あと、本書に収録されている小林旭へのロングインタビューは読み応えがあった。元妻である美空ひばりとヤクザとの関係も当然の者として語るし、「もう時効だから」と前置きして語られる2つのエピソードがどちらもぶっ飛んでいた。日活の撮影で拳銃を使う時は調布警察から本物を借りていたとか。それ時効でいいのか?


2024/06/06(木)

【邦画新作】『わたくしどもは。』富名哲也監督

シネマカリテ・スクリーン1で鑑賞。富名監督の個人事務所が配給という、おそらく自主制作に近い小規模作品なのだが、謎にキャストが豪華で気になっていた。

これみよがしなズームアウトや、あるいはやり過ぎの感のある光と影の演出など、作為があからさまである。そのせいもあって、「死後の世界」という正解にはすぐに辿り着くし、その先に何があるようにも思えない。たしかにシーン単位の演出には目を見張るものがあるし、最初から最後まで非現実の度合いを統一した空間処理は素晴らしいが、しかし技巧ばかりが洗練されているという印象。もっとも、佐渡島にはこんなに多くの「映画的に面白い空間」が手付かずで残っているのは発見であった。黒沢清がロケハンに来たら狂喜乱舞するかもしれない。
あと松田龍平である。登場人物のほとんどが死者であり魂の抜けた芝居を要求されているのだが、その中で松田龍平は突出している。いやもう佇まいがひとりだけ別次元で、演技派のはずの小松菜奈も大竹しのぶも松田龍平に比べれば「魂の抜けた演技」という魂を宿してしまっている。かつては大根だ何だと散々に言われてきた松田龍平であるが、ここまで心情を空っぽにして身体を抜け殻にできる役者は古今東西を通して彼しかいないであろう。もちろんそれは、通常ならばそんな人は役者として成功できるわけないからであるが。しかし松田龍平は抜け殻のまま一定の地位を得た。これからも映画に抜け殻を出す必要があるときには真っ先に声がかかるだろう。松田龍平、未曾有の状態である。

2024/06/07(金)

【邦画新作】『かくしごと』関根光才監督

TOHOシネマズ日比谷・スクリーン11で鑑賞。久米田康治とは無関係。関根監督の『生きてるだけで、愛。』は、かなり好きだったが。

「虐待されているらしい赤の他人の子供を、自分が母だと偽って一緒に暮らす」という状況づくりまでの流れが、システマティックな印象を拭いきれない。飲酒運転で交通事故を起こす展開が逆算的に成り立っているところとか。虐待疑惑の両親も、痴呆の父親も、いずれもがパターン化された描写に終始するため、システマティックな印象は最後まで続く。そのため、重い話のはずなのに、どうにも肌感で捉えられないのである。不穏なままの擬似家族を演じる中盤でいろいろと嫌な想像をしてしまうのだが、最大の懸念である人物はあっさりと退場するし、その後の大オチは序盤でわかりやすく示されているため、特に意外性も何もなく肩透かしである。あの畑の本当の持ち主が現れるくらいのことがあれば。

2024/06/09(日)

【邦画新作/アニメ】『劇場総集編 ぼっち・ざ・ろっく! Re:』斎藤圭一郎監督

新宿バルト9・スクリーン8で鑑賞。日曜日の午後だからというのもあるが、ほぼ満席だった。

視聴済のテレビアニメの総集編(しかも前半のみ)だったのでスルーするつもりだったが、あまりに評判がいいので急遽鑑賞。結果、観といて良かったと心から思った。キャッチコピーにもなっている「私がバンドをする理由」という一点に集中して再編集しており、テレビアニメとは違う新たな物語として成り立っている。そのため、テーマにそぐわない箇所は大胆にカットしているので、観たかったものが無かったと嘆く人が多いのもうなずけるところではある。
もうひとつ、アニメ8話分をギュッと縮めたためにギャグ描写の挿入がテンポよく行われ、それゆえスルーされがちな「きらら的な笑い」が際立っている(テレビアニメの『ぼざろ』を象徴するような「きらら的」を逸脱したギャグは、前述したとおり多くがカットされている)。実は洗練されたものだと気付かされる。普段は使用を避けている言葉をあえて使うが、これこそがオフビートな笑いだ。

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