ビギナーズクラシッス 荀子
韓非子の次はその師匠である荀子だ。
目的は中国史の理解を深めること。歴史とは行動の積み重ねだが、行動の奥には思想がある。ゆえに思想までも理解しないことには歴史は理解できないだろう。しばらくは中国の思想に関する本を読むつもりだ。
冒頭では学問そのものについて説いてある。その中に「学はその人に近づくより便なるはなし」、学問をするならふさわしい先生につくのが一番の近道だ、とある。ぼっちの私には手厳しい言葉だ。
荀子の思想は性悪説と呼ばれ、孟子の性善説と対比される。しかしこの二人は両方とも孔子の後継者を自認している。荀子などは孟子を指し、孔子の教えを歪めて伝えていると批判している。荀子は当時の最大学府である稷下(しょくか)の長であり、諸子百家すべてを学んだ上でそれらをばっさりと切り捨てている。孟子の説も例外ではない。
孔子の後継者を任ずるだけあり、荀子の思考も実に儒教的だ。人間は生まれた時は欲望のままにふるまう獣に過ぎないが、これに礼を教えることで立派な人間、君子にすることができると説く。
ちなみに孟子は、人は生まれながらにして善性の端緒を備えており、それを伸ばすことで自然と徳の高い人間に育つと説いた。
ようするに人間を教化して徳の高い人間にすることに主眼を置いている。これは個人の育成法だが、儒者はこれを国家にも適用する。つまり、国家の長である君主の徳が高ければ国はよく治る、というものだ。いわゆる徳治である。
徳治を唱える儒者に衝撃が走ったのは紀元前四世紀後半。秦が法治を実施し、法の力で強大になったときだ。儒者はそれでも考えを曲げず、法などというもので人民を強制していれば必ず無理が生じ、破綻すると主張した。
荀子が生きたのは秦がますます力をつけてきたころ。荀子は徳治と法治の中間にあたる、礼治を説いた。
人間は生まれた時は獣だが礼を叩き込むことで立派な人間となる。君主も当然、礼に則った立派な人間でなければならない。
また、礼は君主以外のすべての人間も従うべきだ。そうすることで集団に秩序が生まれ、国が治る。
人民が従うべきは法か礼かという違いはあれど、君主の徳だけに頼らないことは共通している。また、荀子の文中には礼と法の使い分けも書いてあり、法治も部分的には認めていたきらいがある。さすがに稷下の長、自分の考えは持ちながらも視野が広い。
荀子のクールな思考の一端として、天と人の考え方がある。
古代中国人にとって天は特別な存在だった。常に人間世界を見守り(というか監視し)、いい行いの人間には褒美を、悪い人間には罰を与えると信じられていた。罰とはすなわち天災のことである。それゆえ、天災の有無は君主が善政を行なっているかの基準であった。
荀子は天人相関説を誤りだとする。天は一定不変の運行を行なっているだけで、人間の行動は関係ない。天の意向を尋ねるものとして占いがあったが、これもまったくの迷信だとする。民衆を操るための道具として占いは有用だが、君主自身はこれを信じてはならない。
荀子にしてみれば、孔子が不遇の生涯を送ったのも不思議ではない。天は立派な人に褒美を与えないのだから、立派な人間がだれからも認められず、不遇な生涯を送ることもある。
では、どうすればいいのか。
それは時勢に適応することだ。孔子は立派な教えを解いたが、時勢が合わないので世間から認められなかった。古の聖君主は時勢に合う政治を行ったから讃えられた。儒者は古の聖君主である堯と舜の治世を理想とし、復活させようとしている。しかし古代と現在(戦国時代)では時勢が違うのだから、堯舜の政治など行っても成功するわけがないというのだ。
堯舜の政治を理想とせず、法治にも理解を示す。だからこそ荀子は儒者から異端視されるのだろう。のちの時代、孔子の後継者とされたのは荀子が批判した孟子だ。性悪説という響きの悪さもあり、荀子の説は異端とされた。
長々と書いたが、結局のところ荀子や、儒教の教えはなんの役に立つのか。
一言でいえば、君主の威厳を出すのに役立つのだ。多くの臣下が慇懃に礼をとることで、君主には箔がつく。君主自身も、軽率な人間よりは礼儀作法を叩き込まれた、重厚な人間のほうが舐められないだろう。
威厳も権威のうちだ。しかし、権威があっても権力があるとは限らない。虎の衣を着ただけの狐では力を保持し続けることはできない。
であるにもかかわらず、儒教は過剰に礼を重んじる。韓非子のといたような、人心掌握の術や、権力争いに勝つための権謀術数は重視しない。君主はすだれの奥に引っ込ませ、重苦しいだけの、無気力な存在に仕立て上げてしまう。
最後にもう一度、ローマから例をあげたい。
ディオクレティアヌスは皇帝の絶対性を確立するため、威厳を付け加えることを考えた。皇帝に謁見するための手続きを煩雑にし、華美な服装で飾り立てた。その結果、どうなったか。
400年ごろの皇帝、ホノリウスは青白くでっぷりした腹を持った、無気力な皇帝だ。そこにかつてのローマ皇帝の姿はない。暗殺者と出くわせば素手で殴り倒し、最高学府へ視察に行けば真っ向から学者を論破するハドリアヌスのような皇帝は二度と出なかった。前線に出るのはスティリコのような武人に任せ、手柄を立てれば皇位を簒奪するのではないか疑われ、殺される。
やがて宮廷内の有力者が皇帝を選ぶようになる。キングがキングメーカーに殺されるようになる。
結局のところ、君主に威厳があろうと、力がなければ政治は安定しないのだ。
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