第一章 自信

「はあ。」
世間ではGWとかいう合法的に人を怠惰にする、無敵タイムがあったそうで。
時よりそんな現実逃避より解放された、迷える子羊たちの悲鳴や仕事への絶望感とでも呼ぶべきであろうため息を耳にする。そんな今日この頃。

大学受験に失敗し、2ヶ月。
予備校に入獄し、早1か月が経とうとしている。

私は幼少期から人に生き方を指摘されながら、ここまで生きてきた。
自分ながら、生きづらさを感じている。そんな生活だ。
原因は分かっているつもりだ。
直す気も悪気も無ければ、苦手を克服することなんて出来る筈もない。
持ち合わせているのは、無駄で凶悪な自尊心のみ。
そんな男が受験勉強だけスマートにこなせると思うか。
私はそうは思わない。いや、思える筈もない。
持ち前の自信だけを引っ提げて、受験戦争に駆り出す事が何を意味するか。
無論、強大な難関大を前に生まれたての子鹿に教わった方がいいくらいには、手も足も出なかった。
そうはいっても、ある程度の勉強量が無いとそんな自信も生まれないわけで、そこそこの大学は撃破出来た。
ただ、自信家として名を馳せるナポレオンも腰を抜かすほどの自信をもつ私は、そのような戦績に満足出来ず、流れるように浪人生へと己の歩みを進めた。

前置きという名の自己紹介はこの程度にして、今回のメインテーマに移る。
それは私はこれからnoteというプラットフォームにおいて、何を何の為にするのかという話である。
私の目論見は、ただ自分が考えている事をこのnoteでしばきあげることだ。
誰のため、何のためかというと、そんなもん自分の為でしかない。
やりたい理由どころか、目標すらない。
日記みたいなもので、日々の悩む時間を有効活用しようという魂胆だ。
強いていうのであれば、ただただ私の浪人生としての生活を、憐れんでほしいだけだ。
いつかこの生活の果てが、私の偉業となるその日まで読者に相手して欲しいのだ。
因みに、このような堅苦しい文で書いているのは決して私が厨二病な訳ではなく、本というものと触れあってきた経験がない為、単に書き方が分からないのだ。
それも含めて、哀愁漂う私の稚拙な文を憐れんで、酒の肴にでもしてくれ。
付け加えるなら、人はどこかで他人の事を下に見て、自己価値感を高めようとする傾向にある。(自己価値感が分からない人の為に説明するならば、自己価値感とは自分に何らかの価値がある事を認めるという自己評価のこととでもいっておこう。決して自己肯定感とは別物だと分かってくれればいい)
その他人を侮る対象を私にしてくれるのならば、なお良い。
私が特殊性癖を持ち合わせているの訳ではなく、そうすることにより私の文にでさえ、読み物としてのエンターテイメント性や価値が生まれるからだ。
要するにこの文章に価値が生まれないという事は、読者に全責任を課し、私には微塵も責任がない事を意味する。
本日より何卒宜しくお願い致します。

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