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「サイテキカイ」 第4話

時郎が自宅の敷地に戻ると、気が付いた那美が笑顔でこちらに手を振ってくる。
ベビーカーを押した那美のママ友達はその動きでこちらに気付き、振り返りながら会釈をするのが見えたので、時郎も軽く手を挙げながら会釈を返す。
時郎はそのまま玄関に向かうと、那美やママ友の明るい笑い声を後に聞きながら家へと入る。
このままだと肝心の野菜を渡すのを忘れそうだな、と思いながら、まっすぐバスルームへと向かった。
先ほどのVQとのやり取りで、すっかり汗をかいてしまったので、早くさっぱりとしたい思いでいっぱいだった。
熱いシャワーを浴びながら、VQとの会話を思い返す。
すぐに行動を起こすつもりはないようだったが、このままだとごく近い将来また会うことになるだろう。
集合体から監察官を任されるほどなのだから、かなりの実力者には違いないし、その忠誠心は疑う余地もないだろうが、「集合体からの命令もないのに時郎に会いに来た」と言う点が、どうしても引っ掛かる。
もしかしたら、時郎と同じような「自我」が芽生え始めてるのではないだろうか?
もちろん、「自我を得て集合体から放り出された」時郎と、おそらくは「監察官として集合体から分離した後に自我を芽生えさせたかも知れない」VQでは大きな違いはあるのだが、「自分の意思で行動している」という点ではまったく同じだ。
そこに勝機を見出す可能性があるように思えた。
それに、去り際に言っていた「人間に興味を持っている集合体以外の存在」というのも気になる。
それが何なのか、VQははっきりとは言わなかったが、言い方から察するに人間や地球にとってプラスとなる存在とは考えにくい。
それをわざわざ時郎に告げたVQの真意も測りかねた。
「BB、さっきの反応、トレースできるか?」
顔を上げ、シャワーからほとばしる湯の水圧を顔の肌で感じながら、時郎はBBに呼び掛けた。
「すでにトレース中。さっきとは違って、こちらから隠れるつもりはないみたいね。驚くと思うけど、彼女、ご近所さんよ。」
即座にBBからの返答が来る。
「ご近所?どういうことだ?」
「彼女は桜井萌々ちゃん、将来恵那が通うことになる小学校の小学3年生。家は直線で500mも離れていないわ。」
「人間として暮らしてるのか?監察官が?」
「どうやら、そうみたい。調べてみたけど、住民登録もされてるし出生証明もある。まあ、そんなものはどうにでもなるでしょうけど。母親と弟がいて、今住んでいるのは父方の実家みたいね。家は祖父母の持ち物よ。」
時郎はますますわからなくなってきた。「高位の監察官が、人間として人間世界で暮らしている」と言うことが、現実的に起こり得るとは、考えたこともなかった。
「今までどうして気付かなかった?意図的に近くにいる、ということなのか?」
「そこまではわからない。本人に聞いてみるしかないんじゃない?」
BBの答えはそっけなかった。
「いずれにしても、さっきのがファーストコンタクトで、私は状況がわかってないんだから推測するにもデータ不足よ。」
どうやらBBは先ほどの時郎の対応に苛立っているようだった。疎外されたと感じたのかも知れない。いずれ誤解を解く必要があるが、今は素直に謝るにとどめることにした。
「わかった。すまないがトレースを続けて、動きがあるようなら知れせてくれ。・・・それと、さっきはすまなかった。詳しいことは今夜戻った時に話すよ。」
「ふん!わかればいいのよ!じゃあね!!」
今度はBBが一方的に通話を切ってきた。おあいことでも言いたいのか、どうもBBにはこうした幼い面が時々現れる。
15分ほどシャワーを浴び、さっぱりとした服装に着替えた時郎がリビングに入ると、那美が恵那にお乳を与えているところだった。
タオルで頭を拭きながら、恵那に何かを話し掛けながら授乳する那美を眺める。
時郎はAJとしても、今までの数多の人間としての活動にしても、幾度も授乳の場面を見てきたが、この時の女性の幸福感に包まれた表情を見る時間が一番好きだった。
同じ種族で騙し合い、殺し合うこともする「人間」という、大きな矛盾をはらんだ存在を生み出したことが、果たして正しいことなのかどうか、今までも気の遠くなるような時間を掛けて自問自答してきたが、この表情を見ている時間は、一時ではあってもそれを忘れさせてくれ、間違ってはいなかったと思わせてくれる。
「ちょっと、そんなに見ないでよ、恥ずかしい。」
はにかみながら、那美が時郎に抗議の声を上げる。時郎はすまない、という風に片手を挙げてから向き直り、テーブルの上の新聞を手に取る。
紙面には物価高騰の記事や工場火災の続報、流行りの「闇バイト」関連の記事、そして子供の虐待死の記事など暗い話題が多かった。
事件そのものが辛い出来事だと言うのに、報道する側がさらに注目を集めるような表現をわざと用いたり、たいていは間違えているモラルを押し付けてきたりと、人間の汚い方の側面が満ち溢れている紙面は、できれば見たくはないのだが、管理者としては人間が事実をどう捉え、どう感じているのかを知る手掛かりにもなり、またタクシー運転手として乗客との会話に必要な知識を得るために、購読を続けているのだった。
それにしても、最近の事件は目に余るようなものが多すぎる気がするし、それに対する反応もやたらと攻撃的なものが多い。
いつの時代にも、ある程度の繁栄を極めた文明社会では過激な思想や巧妙な悪事は、戦争や闘争と同じように蔓延り続け、それが原因で自ら滅びた文明も、また介入によって滅ぼした文明も数知れないのだが、これはつまり、究極的には人間の自我と自我のぶつかり合いから生じる弊害で、人間が自我を持つ限りなくすことのできない原罪とでも言うべきものだ。
だが、ここ最近の攻撃性の高まりは、今までのような一部の人間が周囲を感化して起こしたムーブメントではなく、むしろ個々の攻撃性がそれぞれに増した結果が大きなうねりとなって跳ね返ってきていることで起きている。
今はまだ限定的な被害が起こっている程度だが、それによる社会の不安定や治安の悪化は、さらなる大きな攻撃性のうねりを生み、やがては人間を丸ごと飲み込んでしまうだろう。
その原因が何なのか、管理者としてのAJも、またBBも苦慮しながらも掴もうともがいているが、未だに判然としない。
と言うよりは、原因と思われるものを次々と処理してはいるのだが、一つを潰せば2つが新たに現れる、というような具合であり、現状では対症療法を取って小康を保っているような状態なのだ。
集合体の「絶滅オーダー」は、おそらくこの「自我の暗黒面」への対応が追いついておらず、もはや「もろとも滅ぼさねば地球環境が危ぶまれる」という判断から下されたものだと、AJは考えている。
対してAJは、今こそ「自我の理性面」を信じ、この危機を人間自身に乗り越えさせることで人間をさらなる高みへとステージアップさせたいと考えている。今の文明レベルなら、それが可能だと思っている。まもなくに控えている、他星系からの使者との接触が、それを強く後押しするはずだった。だからこそ、集合体の意思に反してまで絶滅オーダーを実行していないのだ。
だが、監察官が現れ、さらには新たな敵性存在の出現が示唆され、時間的な猶予はさらに削られたように思えた。

「何か、悩み事?」
食事を終え、恵那を寝かせた後、那美がリビングのソファでテレビの画面をぼんやり眺めていた時郎に、コーヒーを出しながら聞いてきた。
昼間に起きた衝撃的な出来事の余韻が、隠していても時郎の顔に浮かんでいたらしい。
とは言え、そのほんの微かな違いに気付けるのは、世界中で那美だけだろう、と時郎は思った。那美はこの手の勘がよく働く。「感」であり、「観」であった。
「いや、暗いニュースが多いな、と思ってさ。」
時郎にもたれかかるようにして座った那美の肩に手を回し、優しく抱き寄せながら、時郎は真実とも嘘とも取れる返答を返す。
「あー、確かに多いよね、最近。不景気だと悪いことがたくさん起こるって聞いたことあるけど、それかな?」
一流の投資家でもある那美は、景気の悪化と治安の悪化に関連があるとにらんでいるようだった。
「トレーダーの意見として、景気の見通しは?」
すでに那美から憂いの表情は消えており、うまく誤魔化せたことに気を良くした時郎は、茶化したように尋ねる。
「明るくはないよ?しばらく低迷したまま回復しないんじゃないかな?」
えらく悲観的な内容だが、那美はまるで意に介していないような明るい声でそう言った。
「え、言葉の中身と話し方のギャップがすごいんだけど、どう捉えたらいいのかな?」
「世の中、なるようにしかならないのよ?どんなにもがいても、どうしようもないこともあるし、なーんにもしなくても、知らないうちに解決してることもある。結局、楽しんだもん勝ちなの。」
リーマンショックも易々切り抜け、世界中のトレーダーや投資信託会社からアドバイスを求められた経験のある人間の言葉とは思えなかったが、那美が言うと妙な真実味がある。とは言え、こんなアドバイスでは他の人間には何の役にも立たないだろう。あれ以降、どこからも連絡がないのは、そういうことかも知れなかった。
「それにね、たとえ私が破産したとしても、時郎サンが何とかしれくれるでしょ?」
いたずらっぽく微笑むと、那美は時郎の胸に顔をうずめて言った。
「そう来たかー!」
時郎も那美を抱きしめ、二人で笑い合う。
不思議なことに、時郎の頭の中からさきほどまでの悩みは消えてなくなっていた。
代わりに、次の動きについての閃きが頭の中に舞い降りてきた。


第4話 了










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