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小説「オツトメしましょ!」⑤

6 初訪
 
 由乃の家は、コンクリートが打ちっぱなしの建物で、敷地を囲む塀も同様に飾り気の一切ないコンクリートで、まるでどこかの「近代美術館」を思わせるような造りだった。その塀から、一段下がったところに金属製の門があり、車が到着すると、左右にスルスルと開いて車を敷地に導き入れた。
 
 広い前庭には、小さめのロータリーがあり、由乃は玄関前にミニクーパーを横付けして車を降りた。さっき通った門は、既に閉まりかけている。
 
 「ず、ずいぶんと立派な家だけど・・・実家?」
 
 千英は「家」と聞いて、どこかのアパートかマンションを連想していたらしい。確かに、普通、女子大生が一戸建てに一人で住んでいるとは考えにくいだろう。
 
 「大丈夫、誰もいないわ。ここに一人で住んでるの。」
 「え・・・そ、そうなんだ・・・。」
 
 極力窓のない造りにしてあり、敷地の広さもあって大きな家に思われがちだが、建坪は40坪に満たない。とは言え、一人で住むには大きすぎるし、加えて地下室と、母屋と続きのガレージがあるので、初めて見るとかなり大きく感じられるだろう。
 
 「さ、どうぞ。入って。」
 
 ドアを抜けると、大きな玄関がある。靴だけでなく、何も置かれていない玄関は、寒々としていて、広さが一層際立った。
 
 「あれ、鍵、掛けてないの?」
 「ああ、マイクロチップが入ってるの。オートロックよ。」
 
 そう言って、由乃は右手の甲を差し出した。親指と人差し指の間を押すと、薬のカプセルのような形の、小さい何かが、皮膚の下に浮き彫りのように現れた。
 
 「私の車もパソコン、もちろんスマホも、全部このマイクロチップで施錠されてる、ってわけ。」
 「うん、聞いたことあるよ。やっぱり便利な物?」
 「そうね、『鍵』から解放されるって考えれば、かなり便利な物だと思うわ。でも3年に一度、痛い想いをしないといけない。」
 
 実際、由乃が入れているマイクロチップは、ブドウ糖発電機構が付いているので、一度体内に入れれば交換の必要はないのだが、安全のために3年まで、と決めている。3年に一度、全ての錠と鍵を最新の物に交換することで、セキュリティレベルを維持しているのだ。埋め込みには、極太の注射器を皮膚に刺す必要がある。場所が場所だけに、これが相当に痛い。
 
 玄関とリビングは、本来はそのまま真っ直ぐ進めば良かったのを、あえて壁を一枚増設して、回り込むようにしないとリビングに行けないようにしてあった。ダイニングとキッチンも一体になった、20畳ほどの広さのリビングも、玄関同様に殺風景で、中央に二人掛けソファがL字型に置かれた応接セットと、その両脇にある温かみのある光を放つスタンドライト、そして窓際の観葉植物くらいしか家具と言える物がない。
 
 その奥の四人掛けダイニングテーブルも、これと言って何の変哲もないもので、キッチンも使用感が全くない。さすがに大型の冷蔵庫、電子レンジ、IHヒーターはあったが、調理器具や食器、調味料の類は見当たらなかった。
 
 「あはは、生活感ないでしょ? 千英も相当だけど、それ以上だよね?」
 「・・・うん、なんか、できたてのモデルルームを見学してるみたい。」
 「あー、いいこと言うかも! じゃあ、このまま見学会と行きましょー!」
 
 由乃は千英の肩を押すようにして、さらに奥に進んだ。キッチンの奥の扉を開けると、大きな洗面所に出る。正面に横長の大きな鏡があり、丸い鉢のような洗面台が、二つ並んで置かれていた。右手がガラスで仕切られたバスルーム、その手前の右側にトイレ、左側には洗濯機が置かれていて、さらに奥のウォークインクローゼットへと続いている。
 
 洗面所にも、何も置かれていない。さすがにクローゼットにはいくつか洋服が掛けられていて、靴箱やそれより大きな段ボールが何個か置かれていたが、その量はクローゼットの3分の1にも満たないものだった。
 
 二人は洗面所を後にしてリビングに向かうと、出てすぐ左手にある引き戸を開ける。そこは、部屋の大半を占める大きなベッドが置かれた、主寝室だった。右側の壁が全面、クローゼットになっていて、左側は何もない壁だったが、上の方に横長の窓があり、外の光が室内を照らしている。
 
 「これで、表の部分はガレージを残して終わり。それは後回しにして、次は『裏』をご案内~!」
 
 由乃は自分でも、自分のテンションがおかしなことになっているのに気が付いていたが、どうすることもできない。この家に他人を入れたのは、業者を除けば千英が初めてだった。自分の家を見られるのが、こんなに恥ずかしいものだとは、思ってもいなかった。
 
 二人はそのままベッドの脇を進んで、一番奥のクローゼットの扉を開く。中は、服の掛かっていないハンガーだけが並んでいて、空だった。
 
 不思議そうに由乃を見る千英に、どや顔で微笑んで見せる。千英もつられてひきつったような笑顔になったところで、クローゼットの左の壁の前に右手を差し出した。
 
 カチャ
 
という音がして、壁が開き、下に降りる幅の狭い階段が現れた。中は暗かったが、段ごとに取り付けられているLEDライトが、まるで階段を降りていくように順々に点灯していった。
 
 「わ! 秘密基地っぽい!」
 「ぽい、じゃなくて、秘密基地よ。」
 
 由乃が階段を降り始め、千英も後に続いた。壁の扉はひとりでに閉まり、背後でカチャリと音を立てた。
 
 階段を降りていくと、部屋の天井パネルが、パネルごとに光り、地下の全貌が明らかになっていく。そこは、1階の倍の広さはありそうな、広大とも言える一間続きの部屋だった。千英が思わず歓声を上げる。
 
 「うわ! すごい! 間違いなく秘密基地だ!」
 「なかなかのもんでしょ?」
 「最高だよ! すごい!」
 
 そこはまるで、『アイアンマン』の、トニー・スタークの研究室のようだった。奥の方には車のパーツやバイクが並び、その手前には様々な工作機械や、バイク用と思しきライダースーツが掛かったハンガー、ヘルメットの並ぶ棚、その他、何の用途に使うのかぱっと見ではわからないような機械や物が置かれていた。降りている階段の逆側には、一段高くなったワークスペースがあり、大型のモニターが3枚、壁の上部に掛けられ、デスクには小型のモニターが並んでいる。左奥に衝立で仕切られた一角があって、そこにベッドと大型のソファ、冷蔵庫などが置かれていた。
 
 階段を降りて、千英が真っ先に向かったのは、やはりバイクの並んでいるスペースだった。銀色の大きな柱が4本、床から天井まで伸びていて、そこだけ天井の材質が違う。
 
 「これ、そのままリフトになってるの?」
 「そうよ。今はガレージの床になってるけどね。」
 「これ、エネルジカのバイク!?」
 「うん。エッセエッセ。ちょっといじろうかな、と思って。」
 
 千英の目が、キラキラ光っていた。子供のように、「これ、なあに?」を繰り返してくる。由乃はそれの全てに、簡潔に答えていき、千英の知的欲求を満たしていく。一通り質問が終わった後で、二人はパソコンの前に座った。
 
 「千英、これ、どう? 使えそう?」
 「うん? 大丈夫だよ。ネットさえ繋がってれば。」
 「え? そういうもんなの?」
 「うん。とりあえずリナックス動かせれば、大丈夫。むしろ回線速度とこっちの防御の方が心配だから、見てみるね。」
 
 千英はそう言って、パソコンを立ち上げた。由乃はあえて、セキュリティを解除しないで見守っていたが、千英はそんなことなどどこ吹く風で、当たり前のようにパソコンを立ち上げ、由乃が見たことのないような画面を次々と並べてはチェックし、時にキーボードで何かを打ち込み、ものの5分で全てを終わらせた。
 
 「よし。これで、とりあえずは大丈夫。」
 「え? 終わり? どう変わったの?」
 「え・・・えーと、簡単に言うと、防御力が3000倍くらいになって、回線速度が20倍くらいになった。」
 「・・・それって、どれくらいすごいの?」
 「あ、全然すごくはないよ。元がひどすぎたから。でも、簡単に破られることはないから安心して。」
 「そ、そうなんだ・・・。元は、どれくらいひどかったの?」
 「裸にサンダルだけ履いてビーチに行ったくらい、ひどかった。」
 「ぐ・・・そ、それは・・・ひどいわね・・・。で、今は?」
 「スタイル抜群の美女軍団500人に、デザイナーズブランドの水着を着せて、ノリノリの音楽で、パリのファッションショーでランウェイ歩かせるくらい安心。」
 
 理論的には全然わからない例えだったが、頭の中で想像してみれば、確かにそれは安心と言える、と思えた。見る側にしても、見られる側にしても。
 
 「今度、千英が作ったファイアウォールと追跡ウィルス持ってくるよ。そうしたら、もっと安心だし、万が一攻撃されても、相手を突き止められる確率が上がるから。」
 「そ、そっか・・・。じゃあ、こっち方面は、千英に任せるわね。」
 「うん! わかった!」
 
 二人はそれから、居住区画に移った。奥の引き戸を開けると、小さなキッチンとトイレ、バスルームに行くことができる。1階のそれとは打って変わり、こちらはばっちり生活感のある部屋だった。洗濯乾燥機には、洗濯物が入ったままになり、キッチンにも数は少ないが、空き缶やレトルトの空き容器が置かれている。由乃は冷蔵庫からビールと冷凍ピザを取り出し、稲荷ずしと並べて軽めの食事をしながら、今後について話をした。
 
 「千英には、これから『盗め人つとめにん』としての修業をしてもらうことになる。まずは、心構えとか、知識の部分ね。それから、基礎体力づくり。これには、きちんとした食事も含まれているわよ? 冷凍ピザ食べながら言うのもなんだけど・・・。で、夏休みには技術的な修行のために、『組合』の訓練施設に山籠もりよ。家の方とか、大丈夫?」
 「大丈夫。大学の合宿とか、そういうことにしておく。」
 「良かった。ところで、体力的な問題は、ある?」
 「・・・どうかな・・・運動はできる方だと思うけど・・・。一応、中距離でインターハイに出るとこまではいったよ。同級生のタバコでなしになっちゃったけど。それと、体は柔らかい方だと思う。」
 「え・・・すごいじゃない。じゃあ、少し訓練すれば、そこそこいけそうね?」
 「うん。たまに筋トレとかもしてたし、同世代ではまだ動ける方だとは思ってるけど。」
 「分かった。それは、夏になったら確かめましょう。」
 「うん。」
 
 おもむろに由乃が立ち上がり、ベッドを動かすと、その下に敷いてあるラグを引き剥がした。さらに床のパネルを外すと、中から金庫の扉が顔を出す。由乃がパスワードを打ち込み、顔認証を済ませると、中から古めかしい本を3冊取り出した。
 
 「これが、私たちのバイブル。『盗法秘伝』という本よ。江戸時代の本だけど、中身は今でも通用することが多く書いてある。まずは、これを読んで。それから、こっちは組合の規約をまとめた本。つまり『掟』の部分ね。最後が、祖父と父の仕事を記した本。これから千英には、この本の中身を頭に叩き込んでもらうことになる。」
 「う、うん。何より大事なやつだね?」
 「・・・そうね。逆に言えば、これさえ覚えて、きちんと守っていれば、悲惨なことにはならないわ。」
 「わ、わかった!」
 「よし! じゃ、今日はこの辺にして、上にあがろうか。時間も時間だし、お風呂入って寝よう。明日は行くでしょ? 大学?」
 「うん、そのつもりだけど・・・。泊まっていいの?」
 「千英さえ構わなければ。って、ビール飲んだ時点でそうなるでしょ。」
 「あ、歩いて帰っても、いいよ?」
 「え? もしかして、むしろ帰りたい?」
 「え!いや、全然! 帰りたくないけど!」
 「じゃ、決まりね!」
 「うん!」
 
 由乃は取り出した本をもう一度しまい、今度は千英も手伝ってベッドを元の状態に戻してから、上に戻った。
 
 千英がソファでタバコを吸いながら、スマホで今日のニュースを見ている間、由乃は洗面所で何やらゴソゴソと動いていた。先にシャワーを浴びるつもりなのだろうと思った千英は、タバコを差し替え、もう一度加熱ボタンを押したところだった。
 
 「ちーえー! 準備できたよー!」
 
 バスルームから由乃が顔を覗かせた。由乃は既に下着姿になっていた。
 
 「え! えぇ? 先に入っていいよ! 千英、後から入る!」
 「ダメよ! 千英、左手使えないじゃない。どうやって洗うのよ!」
 「だ、大丈夫! ひ、一人でできるよ!」
 
 そう言ってソファに丸くなりかけたところに、由乃がやってきた。
 
 「いいから、ほら! シャンプーしてあげる!」
 「い、いいってば!」
 
 そう言いながら、千英は由乃に引きずられるようにしてバスルームに連れて行かれ、あっという間に裸にされた。由乃も下着を取り、二人でバスルームに入ると、由乃が丁寧に、体と髪の毛を洗う。
 
 なんだかんだで、1時間ほどバスタイムを楽しんだ二人は、さっぱりとしてリビングに戻って来た。千英も由乃に借りたバスローブを身に着け、失われた水分を補給するためにボトルから水を飲んだ。
 
 「さ、キレイになったところで、左手、見せて?」
 
 千英の左側に、救急箱を手にした由乃が座り、多少濡れてしまった包帯を解いた。当てられていたガーゼを外すと、血は完全に止まっていた。千英の小さい手の平に、痛々しい一文字の切り傷が走っている。
 
 「うっわ! だいぶ切ったのね。痛かったでしょ?」
 「うん・・・痛かったけど、どうしていいか分からなかったから・・・。」
 「そうだよね・・・。最初に説明できてれば良かったんだけど、パターンが色々あって、余計に混乱すると思って・・・。それに、タテマエ上は教えちゃいけないことになってたから。」
 「でも、おばさんの薬、すごく効いてる。もう痛くないし、大丈夫だよ。」
 
 由乃は、念のため再度傷口を消毒し、絹江が手渡してくれた稲荷ずしのお重に、簡単な手紙とともに乗せられていた膏薬を傷口に塗り込んだ。俗に言う、漢方の匂いのする、緑灰色の軟膏で、血止めと殺菌の効果が高い。これも昔から業界に伝わる薬の一つで、名を『萬均膏ばんきんこう』と言った。最後に患部にガーゼを当て、今度は緩やかに包帯を巻き直した。
 
 「はい、おしまい! 早く治るといいわね。」
 「うん。由乃は、平気なの? 傷。」
 「私は大丈夫。少し血を出すだけなら、ほんとに浅く切るだけで十分なのよ。その辺りのことも、これから学んでいくことになるからね。」
 
 それから千英は由乃に髪を乾かしてもらい、今度は由乃が髪を乾かすのを待って、ベッドルームへ向かった。間接照明でほんのりとした明るさしかない大きなベッドに横になると、途端に眠気に襲われた。お互いに、いろいろとイベントがあり過ぎた24時間だった。由乃は、明日の起床時間の話をしようと千英の方を振り返ったが、千英は既に眠りに落ちていて、規則正しい呼吸を繰り返していた。その度に、ちょっとだけ開いた口から、吐息が漏れ出す。
 
 由乃は長い時間、千英の寝顔を眺めていた。相変わらず寂しそうな顔をしているが、蹲るような恰好はしていない。少なくても、警戒や緊張をした寝姿ではなかった。人見知りで初対面では吃音が出るほどなのに、今日は、よくがんばった。
 
 顔を近付けて、千英の匂いを嗅いだ。シャンプーとボディソープの甘い匂いの中に、ピアスの金属の匂いが混ざる。息が掛からないように気を付けながら、しばらく千英の匂いを楽しみ、とうとう我慢ができなくなって、その頬をチロリと舌先で撫でた。
 
 その味に満足を覚えた由乃は、体を戻すと、静かに目を閉じた。


「オツトメしましょ!」⑤
了。


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