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小説「オツトメしましょ!」⑯

19 家計

 翌朝、自室から朝食のために食堂に向かうタイミングを、意図的に渡辺准教授に合わせた由乃は、気になっていたことを口にした。

 「その後、娘さんと仲直りできました?」

 「ええ、おかげさまで。テレビで会見の様子を見たらしいの。ものすごいはしゃぎようでね、生意気に『お母さん、良かったね!』なんて言うのよ!」

 「良かった・・・。私も母が忙しい人間だったんで、娘さんの気持ちも分かって、ちょっと心配してたんです。」

 「そうだったの・・・。ありがとう。それでね、こっちにいる期間が延びたじゃない? てっきりまたぐずられるのかと思って、おそるおそる切り出したら、全然よ! それはそれで、ちょっとカチンと来たから、こっちに呼んだの。湯浅さん達とは入れ違いで、夕方には着くはずよ。」

 「わあ、良かったです! でも、一人で?」

 「まさか! 体は大きいけどまだ5年生よ! 私の母と一緒に。仕事の成果を見てもらって、少しは見直してもらわないとね! 本人はそんなことよりUSJが楽しみみたいだけど!」

 由乃は心から安堵した。子供の頃の話は事実で、毎日帰宅しても誰もいないし、休みにどこかへ出掛けた記憶も、ほとんどない。それだけに、渡辺准教授の娘の寂しい気持ちがよくわかり、気に掛けていたのだ。なかなか二人きりになる時間がなかったので、口にはできないでいたが、期間が延びたことで、さらに悲しむのではないか、と心配になったのだ。嬉しそうに話してくれた渡辺准教授の笑顔を見て、由乃も幸せな気持ちになった。

 千英は朝早くに出発していた。昨夜、と言うよりも今日の早朝に、由乃の仕掛けたカメラを回収し、クリーニングを行うことになっていた。次の客が皮膚炎を起こしては、あまりに気の毒だ。可能性はほぼなかったが、念には念を入れたのだ。

 ホテルには、乙畑教授が自分の車で迎えに来てくれた。車は三菱デリカだった。なんとなく、乙畑教授らしいチョイスだな、と感じた。ごくごく自然に、渡辺准教授が助手席に座る。そう言われれば、今日は二人ともアウトドア風ではあるが、カジュアル寄りの服装だった。貴重な休みだし、もしかしたら、娘さんが来るまで、二人でどこかに遊びに行くのかも知れない。いや、その後も一緒の可能性もある。二人とも独身なのだから、誰に遠慮もいらないはずだ。考えてみれば、悪くないカップルかも知れない。

 駅に着くと、顔見知りの近近大の学生が何名か見送りに来てくれていた。手土産に、舟形家のくず餅やあぶらとり紙、近近大のTシャツなどを受け取った。時間まで構内でしばらく歓談し、そして、車窓の人となった。帰りの車内は、これからの話で盛り上がった。すでに全員が学長表彰されることが決まっている。その他、地元テレビ局の取材や、学内成果発表会も予定されている。それなりに忙しい日々になりそうだった。

 その頃、千英は、静岡に入ったところだった。次のSAでは給油が必要になるだろう。日曜日ということもあり、東京に近付くにつれて車の量が増えてきた。相変わらずの大飯食らいで、この先渋滞にハマってガス欠だけは、なんとしても避けたい。燃費問題は、いずれ解決しなければいけない問題となるだろう。

 『あのおっちゃんなら、お願いしたらハイブリッド化してくれるかも』

 斎十商会のオーナーの顔を思い浮かべて、千英は自然と顔が綻んだ。文句を言いながらも、何とかしてくれそうな感じはする。とは言え、どちらにしても目玉の飛び出るほどの金額が掛かるのは間違いない。

 二人の経済状態は、この「業界」では決して裕福とは言えない。とは言え、一般的な社会人から見れば、裕福な部類には入るだろう。主な収入源は「お盗め」による組合からの分け前だが、漬物のそれは決して高くはない。他の人間を使っているわけではないし、仕込みに大金が掛かるわけでもないから、それでも少しはプラスになる。浮いた分は、積極的に投資に回していた。千英は、高校に上がるとすぐに投資の勉強を始め、今では常時7桁の金額を動かして利益を上げていた。元手がパソコンの修理や、ゲーム解説の動画投稿で得た資金だったから、千英の投資術は非常に優れたもの、と言えるだろう。

 そのゲーム解説でも、今ではなかなかの人気者になっている。チャンネル登録者数は約40万。月に4~5回の配信で、数十万の収入になる。何気に過去動画からの収入がバカにできない。チリも積もれば、というやつだ。
 
 一方、由乃は、と言うと湯浅家の地所からの家賃収入、聖からの「新製品」インプレッションによる顧問料、そして、由乃の経営する会社からの収益が主な収入源となる。家賃収入はこの業界に入った時に親族から引き継がれたオフィスビルからのものだ。そしてそのビルに、由乃の経営する警備コンサルタントの会社がある。表向きは防犯相談や防犯設備の販売、設置を行う会社だが、「裏のサービス」があり、万が一盗難被害などに遭った場合には、由乃が赴いて盗み返す。もちろん、「組合」の息が掛かった盗みには手を付けないが、それ以外の、いわゆる「モグリ」による犯行は躊躇せずに盗み返した。

 顧客はその多くが宝飾関係ハイブランドの直営店で、海外でも同様のサービスをどこからか受けている。日本では、そういった店を狙った犯罪自体が少ないので、今まで需要がなかったのだが、最近は訪日外国人の増加に伴い、武装強盗の類が増えており、サービス開始直後はかなりの反響があったと言う。由乃は、その顧客の多くを組合に融通し、自分では先着10件のサービスを受けるに留まっている。あまり数を増やしては、手が回らない、と言うのがその理由だった。

 こうして、組合は定期的な収入源を得ることができた。それは決して少ない額ではなく、由乃はそのロイヤリティを手にする権利を有していたが、それを放棄し、代わりに「上納金」の免除を申し出た。両者を天秤に掛ければ、間違いなく組合側が有利な取引となり、組合はそれを受け入れ、今に至っている。

 千英は最初こそ上納金を収めたが、「笹鳴一家」に名を連ねたことにより、以降の上納金は免除されている。こうして、「収入」は減ったが、「支出」はさらに減った。おかげで実入りの少ない「漬物」の救出に、ほとんどの時間を費やすことができているのだ。

 今回の、一連の動きができているのも、そのおかげだ。大抵の組合構成員には、そんな余裕はない。特に、千英のような駆け出しなら、毎日のように上納金代わりの「奉仕活動」を行わなければ、あっという間に追い出されることになる。「奉仕活動」はもちろん、お盗めの手伝いも含まれる。そうして、この業界の厳しい掟や組合の仕組みを覚えながら、盗め人としての経験を積んでいくのだ。

 首都圏第三支部の伊十郎の手下には、このレベルの盗め人が非常に多い。いわば、「養成所」の役割も果たしているということだ。

 そういう意味では、千英は非常に恵まれている。学業を続けながら、ほぼ自由に動くことができる。もちろん、後ろ暗い面も含まれるが、それでも「漬物」を再び世の中に出す、という使命の前では、微々たるものだ、と考えている。他人から見れば、この価値観は理解できないだろうが、少なくても由乃と千英にとっては大きな問題だ。大局的に見れば、人類にとってプラスになるとさえ、考えている。

 未だに相手が何者かはわからないが、当初の目的物は相手の手の中にある。何とかして取り戻さなければ、「笹鳴」の名にも傷が付くことになる。何としても、取り返さなくてはならない。

 SAに入り、休憩を取りながら、千英はナビを操作し、発信機の画面を呼び出した。まだ、あの拠点にいるようだった。

 「待ってろよ、もう少ししたら、正体を暴いてやる」

千英はそう呟いて、車をスタートさせた、ナビ上では、まだ3時間以上の道のりが残されているようだった。この分だと、もう一回は給油しないとダメだろう。まったく、この燃費の悪さだけは、何とかしないといけない。



「オツトメしましょ!」⑯
了。


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