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鏡の中の自分



鏡に映った自分の顔は本当に自分の顔なのか?と疑う事がある。

人間が自分の顔を見れるのは
鏡か写真か自分を撮った映像ぐらいしか思い浮かばない。

鏡に映る自分の顔は、鏡面に僅かでも歪みが有れば、違って映るはずである。
仮に歪みが無いとしても自分の目が乱視ならば、僅かであっても違うはずである。

映像にしても同じ様な事がいえる。
レンズの歪がほんの僅かでも有れば、実際の自分の顔は違って映るはずである。

此の様に考えると、人それぞれ観ている世界が僅かではあるが違うのでは無いかと思う。

私は乱視で、目の検査に行くと放射線状に書いてある線の太さが変わって見える。
それを眼鏡で矯正すると、気持ちが悪くなる。
だから私は、乱視のレンズはいれない。

きっと私は、人とは違う世界を観ているのだなと感じてしまう。

色弱の人とそうで無い人の世界の色もきっと違うと思う。

人様々に観る世界が違うと思えば、人それぞれの考え方の違いがあって当然だ。


人間の脳ほどいい加減な臓器は無いと、
ある生物学者から聞いた事がある。

人の細胞は約60兆個で構成されているらしい。
数えた事がないので私はその言葉を信じる以外ない。

その生物学者が言うには、大きな人も小さな人も60兆個だと言っていた。不思議な事である。

人間の臓器はそれぞれの役目を忠実に休む事なく働く。

確かにそうである。
心臓が一服したら、死んでしまう。
腎臓もそうだ。
肝臓も、胃も腸も一服されたら病気だ。

しかし、脳はだけは休息する。
にも関わらず、頻繁に間違いを起こす。

目の錯覚と言うが、本当は脳が錯覚を起こしているのではないのか?と言いたくなる。

また、目の前で変わっていく映像を認識するのは困難でもある。
映像が少しずつ変わっていってもなかなか気が付かない。
映像が変わると聞いていても気が付かないのだ。
そして、物忘れ。
歳を取ると頻繁に起こる。
脳は愚かな臓器といっても言い過ぎでは無いかも知れない。


生物とは本来、生きはびこる物とその生物学者は言っていた。
どの様な熾烈な環境であっても、生き抜こうとするのが、
生物の本質であり生命力だと。

しかし、人間は自ら死を選ぶ。
人間以外に自殺する生き物がいるのだろうか?

人間が死を選ぶのは脳の一部の細胞で考えたときだ。
どこの部位で考えるのかは知らないが、脳の全てで考えた訳では無いであろう。
60兆個の細胞全てが死を選ぶ訳ではないのだ。
一部の細胞で考えた事を優先し自殺するのは、本当に愚かとしか言い様が無い。

もし此の中で自殺を感がている人がいたならば、
脳だけで人間は生きてはいない事を再度認識してほしい。
愚かな臓器に騙される事なく、生命本来の生き抜く力を認識して欲しい。

全ての生き物は一つの命しかないのです。
それをむやみに奪ったり、自ら捨てたりするのは、
全て脳が考えた事ですよ。

全ての細胞の考えでは無いです。

人間生きてこそ、喜びも悲しみもあるのです。

死んで花実が咲くものか と諺にもあります。。
生きて生きて生き抜きましょう。

そういえば、その言葉に似た言葉で

死んで鼻血が出るものか!
と言うのがありましたね。

死んだら鼻血も出ませんね。

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